2015年1月15日

1月15日・木曜日・雨。時の矢の 睦月なかばを はや越えぬ。 

前回は尻切れトンボで大変失礼。と言って、そんなコター以前はショッチュウの事ゆえ、改めて謝るまでもないが、最近は一回読みきりを我が信条とし、またそれだけの技術力を身につけたとの自負もあり、かかる中途半端はわが職人気質からして許せん、と気取ったまで。別に、読者諸兄に詫びた積りはない。

さて続き。記事によれば、こんな事態になったのは、高校での歴史教育に問題がある、との評論家の言が紹介されている。たしかに、太古から現代に至る日本史を一冊の、それも300頁足らずの本に押し込めて、それを満遍なく教えるとなると、通り一遍の飛ぶような授業になるのはやむを得ない。私にも経験があるが、とくに明治時代以降は学年末になっていて、教師はただ課程を終えることに追われ、十分な指導を受けたという覚えはない。これでは、日清、日露から第一次、第二次大戦にいたるわが国の歩みと戦後の復興の歴史について、そのアラマシすらも知らないということになりかねない。こんなことでは、最近の中国、韓国からのわが歴史教育に対する論難、要望、ときにドウかと思う批難に対抗すべくもない。私の知る限りでも、両国のわが国に対する偏向教育は目に余るものがあるからだ。だからであろう、下村文科大臣は現在の日本史教育を義務化し、若者たちが日本人としてのアイデンテイーテイ、多分その意味は日本人としての自覚と誇りを持たせたい、ということにありそうだが、そうした意図に沿った教育改革を考えているようだ。

大臣のそうした意図の政治的な意味はともあれ、日本史の義務化と近現代史を重視したカリキュラムの実施それ自体に反対する理由はない。ただ、そうしたカリキュラムの実施が直ちに充実した、現代人の歴史意識を健全に育て上げることになるか否かは別の話である。高校教育はこと日本史ばかりか、他の教科もそうだが、大学入試とリンクされており、その影響下にあるは、今更言うまでもない。難関大学の入試では微細な歴史の丸暗記を強い、かつそれを誇るがごとくであると、記事は言う。それは日本史ではないが、ささやかな我が経験を言えば、書店に荷風の『あめりか物語』を求めたところ、絶版との事。何故か、と問えば、「入試に出ないからでしょう」。嘘か誠か知らんが、いかにも在りそうな事と、妙に得心した覚えがある。こんな暗記主義から歴史への生き生きした興味が育つはずもない。

かような歴史音痴、別けても大戦をはさむ現代史への無関心、さらに言えば無知を、何とも思わぬ若者の多い中、記事は少数ではあるが、我が国の近現代史に興味を持ち、のみならずそこにおいて祖国のために命を捧げた人たちを称揚しようとする若者たちを紹介している。ある女子学生は言う。戦争は人道上からも断じて避けねばならない。しかし、戦争に巻き込まれるとは、たとえば中国のような国から我が政府が制圧され、言論の自由を奪われることを意味する。「私たちの人権がそのような脅威に直面したら、政府のなすべきことは、戦争は悲惨だ、等とばかり言い募るのではなく、私たちを守るために立ち上がり、戦うべきだと思います」。

さらに、これまで日本は、70年間戦争を免れてきたが、それは決して今後の平和を保障しない。ならば若者たちは今のヌクヌクした居場所から抜け出て、現実をシカト見つめる時ではないか、と説く男子学生もいる。 

これらはいずれも間違った主張ではあるまい。むしろこの意見に賛同する人たちは多かろう。この意見を、私は百も二百も認めるとして、それでもある違和感を覚えずにはいられない、とも言いたい。原子力を背景とした現代戦争の破壊力、殲滅力には人類、いな地球そのものの破滅以外には何もないというその結果に恐れを持つからである。かつて戦争には、国土やここに開花した文化、歴史の保全と擁護、そのための無私な献身、鉄の規律への服従、英雄的な闘争心の涵養と激烈な闘争、精神と肉体の限界を超えた鍛錬、こうした強兵に支えられた軍団の躍動と激突、破壊と創造等に見られるあるロマン、美意識、英雄性の何物かがあった。すなわちそれは人間的な何かでありえた。それゆえ、それはロマン主義の温床であり、また称揚もされえたのであろう。ユゴーの描くナポレオン戦役、トルストイの『戦争と平和』にはそうした歴史絵巻がみられるのである。しかし、いまやステージは変わった。劇的にかわった。テレビに映される現代戦は、まるでテレビゲームのようにあっけなく、それでいてその被害は激甚にして広大、長期的な影響を人に対しても環境に対しても及ぼすものである。原爆被爆者やベトナム戦争後に誕生した双頭の嬰児を思い出すが良い。先の若者たち、あるいは現代の若い政治家たちには、どこまでそうした現代戦の悲惨さに対する現実感があろうか、と気にかかる。そう言えば、この記事の一面には自衛隊の演習の写真が大きく掲載されている。おりしも二人の美人女子隊員が匍匐前進の姿勢をとり、今まさに手榴弾を投げんとする態勢にあるかにみえる。だが、その彼女たちは、薄っすらと口紅を引き、化粧までしているようなのである。


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