2020年2月5,12日

2月5日・水曜日。晴れ。早や風緩む。立春のゆえと言うより、暖冬異変の現れの一つに過ぎまい。今夏の猛暑ぶりが今から思いやられる。風邪のぶり返しに苦しみ、一週間。と言って、病院に行けば、コロナウィルスにやられそうで、ただ家で咳き込むばかり。今日は峠を越えたのか、かなり楽になった。

2月12日・水曜日。晴れ。いまだ、寒い日はこたえ、咳込む日もある。慣れぬマスクが外せず、鬱陶しいこと限りなし。

 

わが国の再生エネルギー資源は必ずしも不足している訳ではない。むしろバイオマス、波力、地熱と言った多様な資源に恵まれているようでもある。ただ、立地の問題やコスト、エネルギー伝達手段の脆弱性等により、現在の所はどうしても太陽光、風力に偏ってしまうらしい。それが大玉村の問題を生んだ一因でもあろう。

しかも太陽光パネルの技術は中国、ヨーロッパに遅れを取り、「それが今後の大きな課題である」と前回の記事は言う。市場は外国勢に席巻され、国内のパネル製造業者の多くが破産に追い込まれているのが現状である。だが、わが国はかつて、この分野では世界をリードする技術力を誇ったのではなかったか。そして、もしそのまま技術開発が進み、他資源に対しても効率性の良い技術や対策を探り出す方向で研究が進められていれば、大玉村のような問題は回避とは言わないまでも、緩和されていたのではなかったか。

なぜこんな事になったのか、この問題はわが能力に余り、とても立ち入る事は出来ない。ただ一言、いまだに原子力開発への執着とその温存を第一とする国家政策と、それゆえ税制、法律、その他各種の手厚い保護政策に支えられて、この国策に乗った電力会社の巨大な原発投資とが一体となり、さらにはそれに関わる多種多様で膨大な組織・機関の利害が重なって、原子力以外の電力エネルギーの開発を阻止し、封圧してしまったのではないかと言って置きたい。記事にもそれを匂わす言葉があるが、それ以上にここでは上の問題を、政財官学の錯綜した権力関係を見据えつつ解きほぐした、上川龍之進『電力と政治』(上・下・勁草書房・2018)を挙げておこう。

ただ、こう言ったからといって、大玉村はじめ他の市町村が直面するこの種の問題を正しく捉えた事にはならないだろう。ここで問われているのは、こうである。国が破れてもなお残るとされた「山河」が、破れもせぬまま無惨に毀損され続けなければならない理由とは、一体何か、これである。河を穿ち、山を削り、さらには山上にまで這い上がるほどの、大量のパネル群や風車が何故必要なのか。それだけのエネルギー需要があるからである。何処に。大都会にである。

大都会はまさに、近隣から「人・モノ・カネ」に加え「水や土さらに景観」まで根こそぎ呑込むブラックホールと化し、周辺地域を疲弊へと追い込み、今やそれに止まらず大都会自身が自らの巨大化を支えられず呻吟し始めつつあるように見えるではないか。現在目の当たりにしている、新型コロナウィルスの蔓延とたかがマスクの不足に混乱するその姿は予兆的であろう。エネルギーは元より、飲料水、食糧、医療品のいずれか一つが不足すればがどうなろう。また、それらの輸送路の断絶を想起してみよ。されば、大都会の生活は無数の網目に支えられ、その一点の破綻でさえ混乱に陥ると言う、いかに脆弱な基盤の上にあるかが分かろうと言うものである。

今やわれわれは、事態の深刻さを直視しなければならない時にあるのではないか。全ての機能が集中し、それらを支えるためには、巨大装置群が不可欠となり、それを維持し更新するためだけでも途方もない努力を必要とする都市の在り方を改めて、地方分散型の国造りへと舵をきるべき段階にいたったと、痛切に思うがいかがか(この項終わり)。

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