2019年4月2,9日

4月2日・火曜日。晴れのち曇り。花の便りが人の心を慰める日々であるが、ワシントンDC、ポトマック河畔の満開とそこに集う人々の喜びの報は、日本人にとっても格別である。1909年、東京市長尾崎幸雄の贈る2千本の桜を引き継ぎ(病害虫により全滅との由)、3年後の1912年、改めて贈られた3100本のソメイヨシノが根付き、今に至る。日米友好の象徴である。一人の発想が掛け替えのない大きな絆をつくる。

4月9日・火曜日。晴れ。寒の戻りか、この2,3日、泠風来り、ために花締まる。孫娘、無事3年生に進級し、先ずは安堵。この先いかな嵐が待ち受けているやら。ただし本人は、今の所いたって天真爛漫である。

 

大都市圏に依存しないと言う意味で自立した、しかも持続可能な街とはどのようなものであり、それはドウ建設されるか。この問いに、前掲書は実際の取り組みを通してその回答を示している。本書においてわれわれがまず読み取り、そして覚悟すべき第一は、経済の右肩上がりの成長路線からの決別であり、自然環境に出来るだけ負荷をかけないような経済社会システムの建設である。それは日常生活における自足の心を養い、結局、幸福や生きることの意味を問い直すことにつながる営みである。

このような考え方は最近になって初めて浮き上がってきたものでは無い。すでに宗教は二千年も以前にこれを説いてきたが、イギリス産業革命を経(1760~1830年にかけて紡績機の改良に端を発した産業社会の諸変革)、19世紀後半には、科学技術の発展が自然支配と無限進歩の観念を一層促進するに至って、そうした抑制的な考え方は背後に退いた。

例えばシュテファン・ツヴァイクのこんな感嘆はどうだろう。街路に煌めく電灯、遠方の人々との電話、馬のひかない車の疾駆、空中の飛翔は、彼にとってイカロスの夢の実現と思われた。こうして、人々の「間断の無い進歩への信仰」は「聖書」以上のものとなった。だからであろう、ジーメンスは1886年、科学者会議の席上、科学の「真理の光」こそ人類を困窮や不治の病から救出し、生活の楽しみをまし、かくて人間の「存在をより高みへと引き上げるに違いない」との確信を表明できたのである。すなわち、19世紀後半に開花した科学技術の発明と進歩は、人々にすべての問題を一挙に解決しうるとの期待を持たせ、自らを神へと近づける手段を手にしたと思わせたのであった。

今にして思えば、高々電灯や電話、車や飛行機ごときでこれほどの楽観、自惚れを持てた事に呆れるが、ともあれ、そんな社会情勢の最中でJ・S・ミルが経済社会の進歩・発展ではなく、静止状滞の到来を予言し、しかも充実した生活のあり得ることを宣言していたことに注目したい。

彼は一方で、未発達な諸国の経済発展を承認しながら、先進国における過度な利益追求を否定し、そうした情熱、努力は科学探求や芸術的研鑽等に注いで、自らの精神生活の充足を目指すべきことを主張した。これが説かれたのは、1848年刊行の『経済学原理』であるが、と言うことは、英国民はこの時点での経済力で十分な生活を送れる、と彼は見ていたのである。なお、これとの関連であろうが、生活に対する自然環境の意義深さを見逃さず、今日のナショナルトラスト(自然・歴史環境の保護・保全の制度、運動)に思想的先鞭をつけたのも彼であった。

だが現実の社会生活はそれほど悠長なものではなかった。当時、マルクス、エンゲルスは共著で『共産党宣言』(1848)を出版するほどに、英国他ヨーロッパ列国では資本と労働の対立は激化していた。パリ、ベルリン、ウィーンへと革命の火の手が広がった。こうした状況を目の当たりにして、ミルは労働運動や各種の社会主義思想に共感しつつ、自身は自由主義的社会を擁護し、経済格差の問題を分配論の視点から解答しようとする。残念ながら、この難問は現在、グローバル化の最中にあって、益々、深刻さを増しているのであるが。

ここで私が言いたかった事は、要するに我々は今や自らの生活のどこかで、進歩・発展に歯止めを掛ける必要に迫られているのではないのか。もはや、地球資源・環境から見ても、先にみたような無限進歩を夢見るほど楽観的ではあり得ない状況にあると思うからである(以下次回)。

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