2019年3月14日

3月14日・木曜日。晴れ。但し寒の戻りか、やや冷える。

 

当社が地産地消にカジを切ったのは2010年のことである。提案者は斎藤正美専務であるが、彼にはキヌヤに迫る二つの危機が見えていた。当地に進出する大手スーパーやドラックストアのディスカウント攻勢に対抗して生き残るための戦略と「地域経済の疲弊」である。

キヌヤの「販売エリアは農村地帯だが、高齢化した小規模農家が多く、後継者がいる農家は少ない。農家が立ち行かなくなり、よって立つ地域経済が地盤沈下すれば、地元スーパーも成り立たない」。ではどうする。地元産品の比重を高めて農業の活性化を図ることだと思い立ち、社長の領家康元に訴えた。「地産地消を進めれば地域に金が回るようになる。そうすれば顧客である農家を支え、大手との差別化も図れる。キヌヤのファンも増やせます」。

社長の即決、了承のもと、プロジェクトは動き出す。先ずは農産物や製品の納入を了承する協力農家、加工食品会社の開拓に努め、いまや協力会員は801会員を数える。事はそれに止まらない。キヌヤは持ち込まれたものをただ商品として販売するばかりか、生産者と共同して独自商品の開発に乗り出すのである。これはストア(仕入れて、並べおくだけの商売)からショップ(ストアの他に、仕入れ品を加工し付加価値を付けて販売する商店)(矢作前掲書250頁)への転成である。「益田市内にあるメイプル牧場の生乳だけを使った牛乳は9年前に誕生。搾ったばかりの牛乳が加工の翌日には店頭に並ぶ新鮮さが受け、今や年間5千万円を売り上げる。7年前には益田市産大豆100%の豆腐を発売、年約830万円を売るヒット商品に。ほかにも島根県産ブドウでつくるワインなどが生まれている。」かくて、キヌヤに支えられて定住につながる農家は多いとの称賛の声が上がるのも当然であろう。

経済活動は先ずは、域内での食料や生活必需品の生産・販売・消費を通して次第に活性化し、成長して資本主義経済の基礎を築いたとは、経済史の教えるところであるが、以上はそのプロセスを改めて見せつけるものではなかろうか(以下次回)。


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