2019年3月5日

3月5日・火曜日。晴れ。ほぼ10日ぶりにパソコンに触れる。その間、卒業式、会議他と多忙であり、やや体調の変調をきたす。これは毎年のことで覚悟の上だが、今年は堪える。残念ナリ。

 

医療を譬えにしたこの案は、教育体制についても言えることである。連合体の中心都市には国内最高水準の教育・研究機関を設置する。だがそれは、東京大学のような全分野においてトップを目指すそうした発想とは違う。もはや定かならぬ記憶だが、留学先のフライブルク大学の指導教授が語った言葉が思い出される。「金子、ドイツでは全てがトップと言う大学はない。海洋学はキール、法律学はベルリン、社会学はカールスルーエ、わがフライブルクは森林学だ。東大のような大学は存在しない。」この通りの内容であったかもはや覚束ないが、基本的な考え方は捉えていると思うし、そして現在でもその基本線は維持されているのではないか。つまり、ドイツの大学は地域的、歴史的な特性と結ばれ合って発展し、相互に連結していると言っておきたい。

一大学が全分野においてトップを占め、そこから全国に向けて必要な人材を送り出す「配電盤」(司馬遼太郎)のごとき教育・研究機関の存在は、国家の中央集権化と統治にとって確かに効率的であったろう。もっとも日本全国に人材を配送するには、東大一校では間に合わず、その後京都以下8帝大が設立されるが、東大を頂点とするピラミッドは揺るがず、中央官庁の人事からも明らかなように、それは今に続く。そして、そこで実践される教育・研究とは、森有礼の発令した「学校令」(1886)が明示する通り、「国家ノ須要二応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究」することであり、この限り学問・研究は国家にとって必須かつ有益な科目群であり、学問は統治の手段でしかなかったのである。

この事は初代東大総長・渡邊洪基の次の発言に凝縮されていよう。「何の学科を問わず、人間の幸福安全を捗らすの用具に過ぎず。如何なる高妙の理論と雖も、経済上の益なきものは其功なき者と云て可なるべし」(泉 三郎編『岩倉使節団の群像 日本近代化のパイオニア』ミネルヴァ書房2019、131頁)。近代化を急ぐ明治国家の焦りを見る思いだが、しかしここにはアリストテレスに見られる人文主義的な知への憧憬は微塵もない。同時にそれは、国内の地域性、多様性に対する興味や関心も見られない。ここにあるのは、国家を一元的に支配しようとする暴力的な意志のみである。

確かに現憲法では92条―95条において地方自治の章が設けられ、自治の自律性が謳われているが、その実情はそう誇れたものではあるまい。と言うのも、財政問題一つをとっても、地方政府は国からの交付税や国庫支出金を通じて中央政府に牛耳られているとは、しばしば識者の指摘するところである(三木義一『日本の税金』岩波新書2018)。ここでは特に、次の一文を引いておこう。「日本の地方自治は、多くの仕事…をして公共サービスを提供しているにもかかわらず」、自治体には何をなすべきかの決定権がなく、国から決められた仕事をする他ないことから、「地域で多様に暮らす人たちが生活を画一的な公共サービスにむりやり合わせなければならなくなる」ために、住民の真の必要は満たされず、となれば「日々の生活にゆとりも豊かさも実感できなくなる」(神野直彦『財政の仕組みがわかる本』岩波ジュニア新書135-6頁)のである。かくて自治体の現状は明らかであろう(以下次回)。


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