2018年4月5,9日

4月5日・木曜日。曇り。本日、大学付属中高の入学式であった。3,4月は大学役職者にとって卒業・入学式と中々多忙である。本学の場合、都合11日間に及ぶ。だが、それは何ほどの事もない。それ以上に生徒、学生にとっては人生上の大きな節目となる儀式であり、参列する父母の思いも深い。それだけに、それに相応しく、意義深いものであらねばならぬ。

4月9日・月曜日。晴れ。

 

人口減少とは、筆者の考える以上に深刻な問題であった。中村靖彦『日本の食糧が危ない』(岩波新書・2011)の報告がその一端を示す。2010年9月のとある早朝4時、著者はレタス産地として名高い長野県川上村の畑に立った。八ヶ岳連峰すそ野に広がる大地は標高一千メートルの地にあるだけに、都会の猛暑とは打って変わった肌寒さである。そこでは、頭にヘッドランプを付けた男たちが2時間ほど前から、レタスの取入れに従事していた。新鮮さが命の野菜はこの時間であれば、都会の市場に朝摘みレタスとして出荷できる。それにしても、毎朝、大変な労働である。

ドウ大変か。レタスの根切り、収穫、段ボール詰め、運搬といった作業を毎朝未明から行い、しかもそれは2、3ヶ月ほど続く。収穫以前の作付け作業を入れれば優に半年間の、時に過酷な大地との闘いとなる。そんな苦労をしたあげく、自然を相手の農産物は天候次第で市場価格の乱高下を免れず、安定的な収入を見込めぬ不安をかこつ。仕事はきつく、収入がそれに見合わなければ離農となるのはやむを得ない。

事実、20年前の「1985年には240万戸」であった野菜農家の総数は2005年には120万戸と半減し、しかも65歳以上の高齢者の比率は15%から40%へと倍増する。ただ、この高齢化率の数値は野菜以外の農作物の場合に比して低いらしい。米作等では野菜作りよりもまだ仕事は楽な上、収入的にも安定しており、高齢者が頑張れるが、野菜ではそうは行かない。「年寄りには野菜作りは辛い。特に重い種類の収穫や運搬などの労働はきつい。だからこの種の野菜の作付け面積は減って、とうぜん生産量も減った」。高齢者の離農が進行するにつれ、野菜農家の総戸数が同時に減少するとは、「つまり、若者が野菜作りから離れて行ったことを意味する」(4-5頁)。

では、先ほどの未明に働く男たちとは、いったい誰だというのか。中国人たちである。我々は減少した農産物を中国から輸入するばかりか、人手まで頼っているのである。「川上村は、日本の野菜産地の悩みを示す典型的な例かもしれない」と著者は纏め、さらにそこに至る経緯を明らかにするが、それは本書をお読みいただきたい。

私がここでこうした事例を挙げるのは、単なる物品の輸出入ばかりか、生産の場、しかも農業という生活の最も根源的な生産の場ですら、わが国は自ら支えられなくなっているという現実である。政府は移民を認めておらず、また外国人労働者の受け入れにも制限的である。しかしそれは表向きのことで、実際は留学生、研修生(川上村の中国人もそうである)他様々な名目で多くの外国人労働者を受け入れざるを得なくなっているのである。

この問題については、別の項目で改めて論ずるつもりであるが、ここで一点指摘しておきたい。このようにして受け入れた外国人を安価な労働力としてのみ処遇し、不要になればオッポリ出すようなことに明け暮れれば、それは必ず社会不安や破壊活動の温床になる。受け入れたからには必ず、権利と各種の保証を付与しなければならない。その費用と負担は惜しんではならない。その覚悟がなければ、我々は苦しくとも彼らを帰国させるべきである(以下次回)。


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