2017年5月29日

5月29日・月曜日。快晴、初夏の日差し(前回の文章やや手直し)。

今年も今日で五か月を終える。そこで、我が恥を晒すようで躊躇いもあるが、今後の話の都合も有って、この五か月間に読んだ書籍一覧を掲げてみよう。その際、大著、小著、難易度に関わらず、一冊は一冊として数えてみると、24冊であり、あと残りの二日で何とか一冊を加えて25冊とする。月平均五冊。いかに多忙とは言え、誠に情けない。

あらかじめ、私の一日を簡単に。一日の始まりは起床から。これは誰でも同じ事乍ら、私の場合は不規則極まりなし。不規則が規則となっている。大学やその他やむを得ない用事で強要されない限り、昼か一時半頃のお目覚めである。就寝はだから深夜の二時、三時は毎度のことで、しばしば明け方となる。当然、睡眠の質は悪く、しばしば昼寝となる。こんな生活を知る後輩の元同僚は、言ったものだ。「年寄りは自然と早寝早起きになるのに。先生は若い。自分は十時過ぎると、もう眠い」。これに対して、すかさず言ってやった。「お前は、ダラクしたのだ」。そして、朝食なのか昼食なのか分からぬ第一回目の食事をもって、一日は厳かに始まる。

義務的な外出のない限りは、ほぼ春日部に蟄居し、他にヤルこともないため本を読む。仕事場はあったが、現在は長男に明け渡し、自宅の書斎(?)も居心地が悪く、という言い訳のもと、近所のロイヤルホストが我が書斎、というか仕事場である。行けば、五、六時間は過ごし、いつだったか支店長が私に、「お客さんは私以上に出店率が高いですね」ときた。これは褒められたのか、呆れられたのか、今以て判然としない。それともう一つの仕事場。ナガーイ電車の中である。だが、最近それは睡眠の場に変わりつつある。

こうした枠組み、体制でなされる読書に、どれだけの集中力が注がれ、こんなことで果たして深い理解が得られるものか、有体にいえば、これはもうただ活字を追うだけの、自己満足の所業でしかあるまい。が、ともあれ、そうして読まれた書籍のリストが以下である(以下次回)。

2017年5月17,24日

5月17日・水曜日。曇り。今月末をもって、大学監事としての職務、ようやく一年となる。長かったような、短いような。これがあと三年続く。

5月24日・水曜日。曇り。少々、蒸す。このところ前年度の監査及び新年度の予算編成等に関わり、監事の業務も中々多忙であった(本日は前回の文章の引継ぎ)。

一方が日本中をうろつき回れば、他方は世界中を飛び回って、いずれも疲れを知らなかった。しかし、その彼らの寿命は、今で言えば、短命であった。檀は肺癌により64歳、開高は食道癌で58歳の命であった。むしろ、あれだけのことをして、よくぞそこまで生きたと言ってやりたい。やはり彼らは、「健康過剰」だったのだ。

だが、長命なんぞは両者にとってドウでも良かった。彼らが命の短さを嘆きながら逝ったとは、とても思えない。全てを覚悟の上で、思ったことを思ったとおりにやり抜いて、生き死んでいったのだと、私は思いたい。「人生一期、ただ狂え」と歌うようにして生き抜いたのは、あの団 鬼六であったが、この点では彼らも団に後れを取るものではなかった。もっとも、こう断言する理由を、私は一切持ってはいないのだが。

私は自分が蒲柳の質とも言うべき体質ゆえか、檀や開高のような人を見ると、やたら感心する向きがある。しかしそれは、ただ彼らが健康、頑健だからだ、と言うのとは大分違う。殺しても死なない、という人間はどこにでもいるだろう。そうではなく、私が恐れ入るのは、多分、彼らが「健康過剰」を元手に、周囲の心配、迷惑を物ともせず、自分の追い求めたものにマッシグラニ突き進む生き様なのだろう。開高の『ベトナム戦記』(朝日文庫1965)はその格好の例である。女房が言ったように、彼がこれに首を突っ込もうが、突込むまいが、大勢にはまるで関係ないどころか迷惑になるところを、米軍将校にわざわざ頼み込んで、朝日のカメラマンと共に戦闘地の真っただ中となっているジャングルに潜入し、ベトコンの機銃掃射に追いまくられ、果ては遺書まで書く始末であった。何日か消息は絶たれ、「開高氏ベトナムで戦死か」との報道が流れた程である。家族の心配、如何ばかりであったろう。

ここまで書いてきてフト思う。これは戦後直後の混乱期に無頼派と呼ばれた一群の作家たちに一脈通ずるものがあり、私はそこに共感しているのかも知れない。確かに檀 一雄はその一人であり、また友人太宰は無頼派の由来を、権力や束縛に反抗する「リベルタン」にあり、と言っていたように思う(『パンドラの匣』・河北新報社1946)。

しかし、それにもかかわらず、この見方は私の意に満たない。そんな風に言ってしまっては、無頼が反権力という裃をまとい、居住まいを正して、正当化される。これでは、先の「ただ狂え」ということにはならない。たしかに開高には、反権力的な姿勢が強く、だから一時期左翼的作家とみられ、ある筋からは敬遠されたようだが、私にとっての彼の魅力はそんなところにあるのではない。『日本三文オペラ』(新潮文庫1971)が織り成す猥雑で騒々しい世界はどうか。ここでは、戦後直後の大阪のかなり大きなばた屋部落と思しき地区において(彼自身、取材のために、どれくらいだか、彼らと生活を共にしたようだ)、その住民たちと官憲が、近くの広大な兵器工場跡に埋蔵された鉄屑をめぐって、毎夜繰り広げる争奪戦の死闘が展開されているが、その大真面目で、バカバカしい人間の可笑しみと哀れさ、逞しさが実に面白い。

かつて私も何かの「主義主張」に憧れ、我が生活を律しなければ、と健気に考えた時期もあった。が、いまこの歳になって思うには、自分も何かに縛られる事なく、世界を飛び回り、勝手放題のバカバカしい人生(もっとも我が人生が愚かでなかった分けではない、どころか十分バカバカしいものであったのだが)は面白かっただろうナ、しかしそうするには、自分にはそのための体力、精神力、何より覚悟において著しく欠けるものがあった、と諦める他はないのである(この項終わり)。

2017年5月2日

5月2日・火曜日。五月晴れ。先週、萌黄色の欅は早や深緑に。

すでに言ったことかもしれないが、私はそれほど健康ではない。たしか『火宅の人』の中で、檀 一雄が自分を健康過剰と言っていたのを読んで、そんな言葉があるのかと訝りながら、同時に羨ましい人だとつくづく思った。その言葉のとおり、彼は家庭を打ち捨て、愛人に溺れ、浴びるように酒を飲み、太宰や安吾と遊び呆ける生活(?)をおくって斃れることも無かった。自ら包丁をとるほど食にうるさく、料理に関する多くの著書を残した。しかも頑健さは肉体だけではない。口述筆記の手当てが付かなくなると、粗略の限りを尽くしている女房に頼み込むという豪胆さである。これはもう、並の男の成しうることではない。これには私も脱帽し、ただ感嘆した。「ソウカ、オヌシ、ソコマデヤルカ!」。

私の好きな作家に開高 健がいる。彼もまた檀流に言えば、健康過剰でどこまでホントの話かは知らないが、平野 健あたりから女の扱いについて訊かれるくらいで、その道の達人であったことは間違いなかろう。それでも今西錦司には性病予防の丸薬を突きつけられ、「なんだ、こんなことも知らないのか」と一喝されて、ここはアフリカの奥地ではないし、京都なモンで、と力なくうなだれる他なかったようだが(『人とこの世界』ちくま文庫、2009)。

彼の健啖ぶりは人の知るところである。『夏の闇』(新潮社文庫、19972)の中で、恋人から、貴方は汚穢趣味だから、と呆れられるような主人公を描くが、その通り、彼は東南アジアのごみ溜めのような場末に入り込んで、そんな不潔をものともせず、そこでの粥が好物であった。『オーパー』を読む者は、アラスカから南米の突端に至る釣りの大旅行に圧倒されるだろう。酒については何も言うまい。何しろ45度の酒が水っぽいと言うほどの御仁だからだ。

そして、家庭を顧みること皆無であったことも、人後に落ちなかった。だからホントに久しぶりに、家族揃っての会食後、レストランから帰って、一人書斎でご満悦のところ女房、娘が入ってきて、「あたし達を母子家庭のようにほっぽり出して、何処にいるんだか、生きているやら、死んだものやら、散々心配させて。マッタク。世界が一人でどうなるものでも無いのに。このバカヤロウ」と、耳元で痛烈な一声を浴びせられたのであった(『耳の物語』文庫ぎんが堂、2010)(本日はここまで)。