2017年1月27,30日

1月27日・金曜日。快晴。寒気やや緩む。1月30日・月曜日。快晴。明後日より如月。

それにしても、と私は思う。著者は何故に、これほどの執着をもって、そこに在る美を求めて遍歴するのであろうか。美は確かにどこにでも在り、それと意識さえすれば容易に見出すことが出来よう。しかし、美はまた実に果敢なく、捉え難い。それゆえの悲哀と神々しさもそこに在る。その体験を、早春の裏磐梯にようやく芽吹こうとするブナの輝きに触れたその一瞬に、著者は得た。この感動、感懐を是非記録に留めなければならぬ。著者62歳の折の、遅い出立である。

こんな思いが滲んだ一文をここに紹介し、本節を閉じよう。江戸期、宇都宮城の北側外堀辺り、町同心の屋敷が並んだ「鼠穴通り」と称する曲がりの多い細道が、当時の面影を偲ばせながら今も残っている。六月の、降っては薄日のさす梅雨らしい一日。著者は誘い込まれるように、その路地裏に足を向けた。目と鼻の繁華が嘘のような佇まいがそこには在った。竹垣のある古民家が二、三軒連なり、その中に木々や草花の飾るレストラン、日本料理店も埋もれている。見回せば、建てこんだ屋根の間に、「天の穴のように」くり抜けた空が覗き、柘榴の巨木が聳える。

「路地ちかくでは、日向水木のひとむらが、葉という葉に露をおいて、きらめいている。春さきに黄色い可憐な花をつけたあと、柔らかな黄緑色の葉をだし、その葉は濃い紅にふちどりされて、緑をいっそう鮮やかにしている」。こんな静寂の中では、人の営みもそれらしくしっとりとしているのであろう。誰もいないと思った厨房から、「とんとん…」とまな板にあてる包丁の音が聞こえ、夜の仕込みが始まったと知れるのである。それでも、その静けさは壊れない。雨水を含む地面からは湿った土の匂いが立ち上がり、黒土の上に柘榴の花の「ぽとり」と落ちる音までが風情を添える。ここには確かに、もはや昔の事になってしまったあの懐かしい日々に繋がる何かがある。

だが、この文章の末尾には無残な追記が細字で添えられた。「その後、鼠穴通り北側にあった売家は売却され取り壊されて駐車場へとかわり、南側の一部は住宅分譲地となった」。

最後に、著者の経歴について一言付しておきたい。著者は文学一筋に歩んできた方ではない。明治大学政治経済学部・政治学科卒業であり、わが敬愛する故西尾孝明先生のゼミナールのご出身である。この度、私が本書を頂戴したのは、令夫人喜代子様のお勧めによる。夫人には、記して謝意を表したい。一読し、このような一文に及んだのは、本書に盛られた詩情とその豊かさに打たれたからであったが、同時に遅咲きの著者の直向きな情熱に私なりのエールを送りたいとの思いに駆られたからでもある(この項、終わり)。


Comments

“2017年1月27,30日” への1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です