2016年2月12日

2月12日・金曜日。うす曇。

前便のわが主旨は、こんな風に纏められるか。「老人」とは歳(時間)と共に、身内に備わる様々な能力を失いつつある人とみなした。そこには、直ちに社会的な、多様な意味が絡みつく。組織人であれば、その組織の要求を満たし得ない人とされ、そこからの「解放」、つまり退職や引退を余儀なくされる。定年制とは、それを規約として定めた制度である。この仕組みは、規約を持たない自営業、自由業の人とて免れられない強制力を持つだろう。顧客の喪失という形で。

現在、60歳定年が一般的なようにみえる。しかし、それも職種により多様である。プロ野球人であれば40歳くらいが限度であろうが(過日、山本昌氏・中日ドラゴンズ・が50歳まで現役であったと知り、心底、驚かされた)、他方で90歳近くまで現役の教授を勤めた時代もあったようだ。私の学生時代には、政争に明け暮れた自民党では、7、80歳の最長老議員たちが2,3日の徹夜をものともせず、返ってツヤツヤした顔をテレビに曝していた事が思い出される。まさに驚異的な体力という他はない。

だから、この60歳定年制は一つの目安に過ぎない。こんな当たり前のことをワザワザ言うのは、60歳で切られた人たちの能力の行く末についてである。先ず問うべき事は、現在、この歳に達した人々は、真実、その能力、才能(体力、精神力、技術力等々)を失った人々であろうか。そう本気で思っている経営トップはほとんどあるまいと思う。定年制の唯一合理的な説明は、後進の育成とそれによる組織の活性化を図る事ではないのか。やはり、組織的な代謝を欠けば、マンネリズムに陥り、時代の変動に対応し得ないからである。また、上がつかえて若者が活躍できない社会は、不幸であるにちがいない。

このように問題を整理し、摘記してみれば、今我々が抱える老人問題は、入り組み、難問に見えようとも、案外簡単であるのかもしれない。過日、こんな記述を目にした。定年退職者は、「天国」から「地獄」への遍歴を免れない。その心は、会社の業務や責任、日々の通勤から、その日を限りに、一転、全く解放され、自由な生活を送れるようになるからだ。しかし、その自由は、大方にとって、先ずは「蕎麦打ち」、陶器に向けられるが、そんな事は直ちに飽きて(それはソウだ。才能と素養も無い素人がそんな事に手を出して、その奥深さと面白みを実感できるわけも無い)、あとは何も無い無聊、退屈が襲ってくると言うことである(中邨章『地方議会人の挑戦』より)。

そこで中邨氏はこんな提案をされる。議会人はそういう人たちに積極的に働きかけ、議会の活性化のために、審議のモニター、議案に対する質問権を与え、地方議会への関心を喚起し、市政を住民のものにしていく仕組み作りである。市政は地域住民にとって最も身近で切実な政治でありながら、市民からあまり省みられないような事態が一般的であるのは、地域にとって(いや、日本国にとっても)一大不幸である。この提案のようにして、定年退職者たちに生きがいの場が与えられ、同時に市政の蘇生がなされるならば、そんなメデタイことはあるまい。だがそのためには、現行の議会制度をより自由にし、住民との距離感をなくそうとする議会人たちの努力が第一であろう、とは氏の指摘である(そうした先進的な取り組みしている市会もいくつかあるようだが)(中途だが用事のため、今日はここまで)。


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