2015年6月19日

6月19日・金曜日・雨。九州地方に豪雨続く。

過日、某ロータリー倶楽部から三十分ほどの話を、との依頼を受け、あわせてその要旨も求められ、以下の駄文を書いた。本日は、それを掲載することで、わが責めにかえたい。

            将棋と私

 今どきのゲーム機からみれば、将棋はいたってシンプル。何の変哲もない盤と駒。これを相手に、プロ棋士と称する奇人、変人、異能の人々が、昼夜を分かたず苦吟し懊悩する様は、これを観る人々に時に哀れをさそい、あるいは驚嘆、感嘆の念を生じて、倦むところを知りません。わがドイツの友人は呆れ果てたというように申しました。「ウチのオヤジはチェスに夢中のあまり、父親の死に目に会えなかった」。洋の東西を問わず、同じような話があるようです。一体、ここにはいかなる魔界が潜むのでありましょうや。

 私もそんな世界に魅入られたのでしょう。これまで将棋には随分のめり込んでまいりました。棋歴も六十年余りとなります。その割には実力が伴いませんが。その間、幾人かプロ棋士の知己を得る幸運に恵まれました。また、同僚との勝負の明け暮れ、あるいは棋友とも言うべき方々との戦いを通して、多くの事を学ばせて頂きました。曰く。考えることの苦しみと喜び、劣勢に耐える力、選び取った一手の重み、瞬時に変わる勝負の行方等々、数え上げればキリがありません。

 本日は、そんな私のささやかな体験談から将棋の面白さ、奥深さの一端にでも触れて頂ければ幸いです。


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