2015年6月10日

6月10日・水曜日・梅雨の幕間・晴れ。

T・O君

手紙を有難う。そろそろ近況報告がくるかな、と思う矢先だった。一読し、まず浮かんだ言葉はこうだ。「男子三日会わずば、刮目すべし」。伸び盛りの少年(現在は少女も含まれようが)に、三日も会わなければ、もう別人かと思うほどの成長をとげている、というほどの意味である。一年前の手紙で、翼は自分の人生目標として宇宙飛行士を掲げた。だが、当時の学力では、その道のりは、容易ならざる事を自覚していた。にも拘らず、事を決意したる者にとっては、事情がどうあれ、その成否は半々であると思い定め、あえて峻嶮な登頂への一歩を踏み出したのであった。レベルの高低に係わらず、砂を噛むような受験勉強の味気なさ、不安と孤独の辛さは、それを経験した者なら誰でも知っている。しかも、その目標がはるかに霞む高峰であるとすれば、そうした重圧は、ときに耐え難いものとなろう。それは自ら負ったものとはいえ、全てを投げ打ち、現状に妥協しようとも、決して責められることはない。だが、前便の翼の声は違った。そうした刻苦の日々はたのしく、充実している、と。これを読んだ大人たちが、感嘆し、大いに勇気付けられた事をここに記しておこう。

あれから一年。翼の成長は、我が予想をはるかに超えて、見事である。それは、単に学力の進歩を言うのではない。厳しい受験勉強を通じて、ものの見方、考え方が、確固とした土台の上に打ち据えられたように思えるからだ。その当該箇所を、手紙から引用してみよう。「勉強のとらえ方が変わりました。結論から言うと勉強はキチンと丁寧にやっていくと面白いです。最近、予備校などで化学と物理を中心に勉強しています。当然、学校レベルの問題よりも難しいものが京都大学で出てきますし、高級な話もばんばん出てきます。例えば化学なら、僕は以前は化学を暗記モノと思っていました。しかし、予備校で(化学の講座の中で一番ハイレベルな講座をとっています)受けた授業で考えがガラリと変わりました。まず1つに、化学は暗記科目ではない、ということです。当然、必要最低限の暗記事項はありますが、それ以上に言葉の定義をおさえ論理で徹底する事が重要になってきます。また、東大・京大をはじめとする難関大の問題は暗記だけでは解けません。しかし、この一筋縄ではいかないような思考を要求されるような問題こそ本質をとらえ、かつ面白みのあるものだなと思います。ただの暗記だと思っていたことが、論理の積み重ねによって体系的に整理されていくのは眼からウロコ体験で快感です」。「化学・物理を通して思ったのはハンパにやるとつまらなくなるが、論理を徹底すると面白いということです。しかし、論理を徹底するには、まず基礎知識と事柄の一般的な理解、数学的な処理能力などが必要となってきます。幸い、これらを理解し、実行できる程度の素養は1年で身に付けられたので、今こうした考えに至っています。以上のように考えると、受験勉強も、キチンとやれば悪いものではないなと今は思っています。」

翼よ、ここでの言葉は、一受験生のものではない。これはすでにして、研究を生業とする者たちの心情、心組みを示したものだ。研究とは、どの分野であれ、まずはその基礎知識の習得、だからそこでの努力の多くは暗記に費やされるが、それを通してその学問分野の論理もまた体得される。これをもって、研究への第一歩が踏み出される。これを私は「学び(学習)」、と言いたい。というのも、学びは、まねび、つまり既に在ることを真似ることに発し、こうして基礎知識を身に付けるからである。ただ、ここでは暗記が主となるから、それは機械的な反復であり、多くは苦痛とならざるをえない。勉強が辛いのは、それだ。

しかし、考えてもみよ。辛いばかりの事を、人は一生の仕事、職業として自ら積極的に選ぶものだろうか。また、そんな事を生涯続けて行けるものだろうか。奴隷制、身分制社会ならイザ知らず、職業選択の自由な社会ではありえない。たしかに、やみくもな暗記は苦痛であるが、他方で未知な分野を知ることで、これまで気付きもしなかったことにふれ、視野の広がりを自覚することは、翼も言ったように、眼からウロコ、それ自体大きなよろこびである。その喜びを基礎に研究が始まる。やがてこれまで見えていた世界が、全く別の姿、意味を持って迫ってくる。しかもそれは、人類の中で、この俺によって、今初めて明らかにされたのだ。こうした喜び、興奮に触れえた者こそ幸いだ。彼はモハヤこの世界を離れることは出来ない。寝食を忘れ、苦労をものともせず研究にのめりこまざるを得ない。アリストテレスが『形而上学』で「知る」事それ自体が持つ純粋な喜び、充足性を称えたのも、このような意味であったと思う。

もとより翼の現在の勉強は、研究職のためではなく、宇宙飛行士を目指したものである。だが、そこに至るには、手紙にもあるように、今後、目指す大学に合格し、関連分野の知識に習熟するは勿論、苛酷な環境に耐えうる体、精神をも鍛えあげなければならない。しかし、私はそれに何の危惧も抱かない。君にはそれらを乗り越えられる知力、体力が備えられているからだ。それでも、人の営みに完全はない。だから、そのような必死の努力も、あるいはかなえられないことになるかもしれない。だが、翼よ、時に襲うそうした不安、心細さ、さらには勉学の苦労の全てを含めて、楽しんだらよい。いや、すでに君はそれらを楽しんでいる様にもみえる。いずれにせよ、ただ今現在の体験は、今後の人生に大きな宝となろう。臆せず、信ずる道を歩め。最後に私が送る言葉は、こうだ。「神よ、ひたむきなるこの若者に祝福をあれ」。

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