2014年10月31日

10月31日・金曜日・曇天・なかなか晴天続きとは行かず、はや11月を迎える。

大分前、年をとることは必ずしも悪いことではない、といったことをここに書いた。先が見えることで、大それた望み、野心――といっても普通、それらはたいした事ではないのだが――もなくなり、心が落ち着くからだ。平安になる、と言ったらよかろう。何をやろうと、いずれポチポチの高が知れたもの、こんな感じだろうか。また、生への執着も失せ、病気にたいする感覚も大分にぶる。

そんな思いを持っていたら、知り合いからこんな話を聞いた。彼は最近、血尿をみ、それも血餅まじりのかなりの量であったらしい。突然の事とて、流石に慌てた。それは一両日続いて、治まったものの、まだ完全ではないらしい。それはそうだ。しかるべき箇所にそれ相応の損傷があるはずだから、かんたんには戻らない。医者はナンと、と聞けば、行ってない、との返事。それで大丈夫なのか、と意気込むこちらの問いに、彼は済まして言った。「行けば、やれ検査だ、施術だ、入院だとくる。そんなのは、真っ平だ」。すでに若い頃、大病をこなしてきた彼は、そんな病院生活を良く知っており、いまさらそんな風にして永らえようとは思っていない。そのことは、私にはよくわかる。つまり彼の言い分はこうなのだろう。事が手術に及べば、それだけで身体能力を失い、強い薬やら何やらが今ある生活を大きく損なう。この先そう長いことでもなければ、そんなに無理する必要もないのだろう。ただ面白いことに、そんな覚ったような、強がりをいう彼ではあるが、やはり今回ばかりは相当参ったらしく、漢方医には行ったらしい。そして、アッサリ言はれた。「それは病院に行った方がいいね。うちでは手に負えないレベルだ」。

苦笑いをしながら、そう言う彼の言葉に、こちらの応対も困ったが、それにたいする彼の無念さはよく分かった。「イイカ、お前、この歳の人間がダ、わざわざ漢方を訪ねるンだぞ。病状の深刻さは察している。でも、西洋医学には托したくない。だからもう一つの可能性として漢方に、と言うことだ。ならば話をきき、漢方の立場から、その病状の説明をし、そこで出来ること、出来ないことを説明して、なお納得すればそれに見合う処方をするのが医療の姿勢だろう。それをさも面倒くさそうに、門前払いをするとは、なんだ」。

私は彼の憤慨から、こんな事を思い出していた。たしか医聖ヒポクラテスの言であったと思うが、医療は「稀に癒し、しばし和らげ、常に慰む」。医療行為とは、昔も今も、患者側からすれば、この言葉の通りなのだろう。治療による完全な快癒は稀なことで、それは苦痛を取り除け、和らげるのがせいぜいだ。だがそこには、常になしうることがある。患者を慰め、支え、献身し、かくて彼に病と戦う勇気をあたえ、治癒に向かわせることだ。そのとき、患者は身に苦痛を抱えようとも、己が孤独を救われ、心の奥深いところで、癒しを覚え、たとえ薬石効なくとも自足できるというものだ。「自分は、これまで多くの人たちの祈りと支えを得た。最善も尽くされた。もう、十分だ。ありがとう。」

彼とのやり取りから、私はいま一つ思うことがあった。『神秘』なる小説のことである。本書は白石一文氏によって一昨年、毎日新聞夕刊紙上で連載され、本年4月、同新聞社から刊行された。私はその連載を飛び飛びに読んだに過ぎず、精読したわけではない。だがこの小説は、日と共に我が思いに深く染み入ってきているようだ。50歳をこえた編集者が、突如膵臓癌を宣告されながら、しかし近代西洋医学に背を向け、まったく違う方向に可能性を求めて関西に流れていく話だ。いつしか癌は消滅し、治癒する。その治療とは、まさに神秘、若い頃、彼の人生を予言した、霊力のある一人の女性の足跡を追っての旅に始まり、彼女との不思議な出会いと生活のうちに、彼は回復していくのである。ここには生命の不思議、ひとの宿命、神との交感とも言うほかないような関りの中で、ひとは生き、その使命がついえたとき、息を引き取る。彼女は、言っている。病気は私自身が治すのではない。軽い症状のひとが亡くなり、重病患者が治ったりする。だから、これはもう、神の意志、そんな力が働いているような気がする、と。

この文章は2年ほど前のわが記憶によるものだから、不正確に違いない。それでも言いたいことは、お分かりであろう。ひとの人生、その成果とは、もちろんそのひとがかくありたいと願い、その実現にむけた努力、それを支える意志力などの賜物にちがいない。だがそれだけではない、それを超えた何とも言いようのない大きな力の働きもある、こうこの小説は語っているのだろうか。とすれば、我が友人が今更ジタバタしても始まらん。こう覚悟し、西洋医学とは別の道をとろうとするのも、あながち否定もできない。もっとも、私が否定しようが、何を言おうが、彼にはナントモないことであろうが。


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