5月12日・月曜日。曇り。本日は、大分間が開いてしまったが、再びホープレヒト論に戻り(4/18・金)、この話に始末をつけたい。
過日の報道によれば、八潮市の事故に巻き込まれた運転手がようやく救出され、ご家族のもとに帰されたようだ。お疲れ様、どうぞ安らかに、と祈る他ない。今後は本格的な修復工事に入るようだが、完工まで数年単位ともいう難工事になるらしい。しかも、この種の事故はこれで終わりではなく、むしろ頻発するとの警告を受ければ、先行きは何とも暗い。土木施設、橋梁等の建設物には不断のメンテナンスは欠かせず、人の手当てや経費は事業規模に応じて巨大化するが、少子高齢化社会のこの国がそうした負担に耐えられるのだろうか。これを思えば、現在のような一極集中的な都市造り(裏側にある地方の疲弊)は根本的に改めるときにあるのではないか。
5月16日・金曜日。曇り。蒸し暑し。例のバーチャル・ウオ―キングだが、当方、昨日、新潟支社に無事ゴール。45日間を要し、総距離数310㌔、40万歩強を歩いたらしい。堂々の2位(暫定)である。1日平均、1万歩を意識し、ゴールを目指した。一老人が春日部市内を夜ごと徘徊する様は、はたから見れば、鬼気迫るものがあろう。途中、何回かパトカーとすれ違うが、あちらも不思議に思ったかもしれん。それにしても、よくぞ完歩した。時に朦朧としながら、また今日はダメだと諦めかけた日もあったが、それも何とか乗り切った。一つの達成感はある。ただし、疲労の蓄積は限りなし。
ホープレヒトの放射方式が成立したのは、当時のB市周辺域にはいまだ広大な原野が存在したからである。東京都でも、筆者の中学生時代(昭和30年代)のことだが、郵便のあて名に「都下」と付された頃の三多摩地区は勿論、練馬、板橋、杉並といった都市周縁の各区にも、まだかなりの田地が広がっており、それが都心からの屎尿の吸飲地となっていた。B市もこれと同様である。しかもその規模ははるかに大きかったのであるが。
だが、灌漑農地の仕組みを記す前に、市内に埋設された下水道のあり様を示さなければならない。詳細を知るには、地図と共に具体的な事例を挙げて説明するほかはなく、それらは拙著に譲るとして、ここではごく簡単に済ますほかない。
ホープレヒトはB市を自然水路、大地の分水嶺を考慮して12区に分割する。出来るだけ下水道内の自然流水を確保するためである。そして、各区域の下水集合点ではポンプ場を設置し、機械力によって汚水を揚力し、そこから圧力を加えられた鋳鉄製の道管を通じて市域外に隣接する灌漑農地へと送られる。
市内の下水道は支線を歩道下に埋設して各家の排水管との接続線を最短にし、それらを区域内の本管へと接続する。その際、各支線は並行させ、同時に両線を繋いで、一方の故障には他方に代替させる機能を与える。万が一の破損に対しても、大掛かりな道路の掘り返しを免れるためである。
また、下水道が収容しえない豪雨に対しては、近隣の河川に放流するために、緊急の排水口が別途設置されている。これによる、河川の一時的な汚染は免れないが、下水道システムの破損回避にはやむを得ない対策であった。同様に、システムの防御策として、道内の空気圧を低減するために、排気口、検査槽、マンホールの設置が付帯設備として組み込まれた。そして、ここでは道路清掃が下水道保全の重要対策として考慮されていることも言っておかなければならない。ゴミ、砂等の道内への混入は流水を妨げ、破損の原因になるからである。道路清掃の目的は、これを第一義とするとある。
他にも述べるべき点は多いが、以上からでも大まかな仕組みはお分かりいただけよう。ここでの問題は、下水道システムを一続きにせずに、ブロック化することで、下水道線を出来るだけ短縮し、システムにかかる負担を低減させると共に、その建設及び管理経費の縮減を図ろうとすることにあった(以下次回)。
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