2024年12月06,09日

12月6日・金曜日。晴れ。

12月9日・月曜日。晴れ。前回の文章を推敲し、少しはマシになったか。

韓国の政治的混乱に息をのむ。あまりに突然で、しかも尹大統領の意図も論理もまったく不明なまま、日本を含む極東アジアの政情もまた混迷していくのだろうか。筆者としては、北朝鮮や中国の動向が気になる。中東ではアサドが倒れた。ウクライナに掛かりきりのロシアには、彼を支援する余力がなくなったからだと言う。そのウクライナ戦争はいまだ続いて、先行きは不明であり、収まりかかったパレスチナにまた火が付いた。欧州でも政治の右傾化が進み、トランプ政権と共に始まる保護関税の乱発が報復関税を呼び、グローバルな自由主義経済体制を葬る雲行きである。そうした中、地球温暖化の惨事が容赦なく襲い掛かる(トランプ政権はパリ協定離脱の意向だ)。要するに、地球規模で政治経済の根幹や土台が揺らいでいるどころか、あちこち亀裂が、しかも恐ろしいほどの音を立てて発してきた。こうして、人類は、来年度以降、羅針盤と気象情報を欠いたまま、いつ収まるとも知れない破天荒の荒海に翻弄されながらの航海を続けることになるのであろうか。

今夜は冷え込むと聞いたが、予報では日曜日以降厳しくなるらしい。そんな中、風呂のないのは辛いなと心配していたところ、本日、業者から連絡を受け、工事は11日、午前中で終了するとの事。ややホッとする。あと4日の辛抱だ。それにつけてもヒトの幸福感なぞ、他愛のないものだ。はたから見れば何でもないことも、当人にとっては地球の終わりに思え、大騒ぎしながら、事が終わればケロリとしている。そして、チョイと良いことがあれば、天下を取ったような喜びようだ。こんな一喜一憂の日々を重ねて、ついに終わりの日となる。業平の辞世の句はこうだ。

つゐに行道とはかねてききしかど

   昨日けふとは思はざりしを

宮廷人としてはうだつが上がらず、その鬱憤のやり場を和歌と女に明け暮れ、気づけば臨終の日となってしまった。こんな日の来ることは、とうの昔に知っていたのに。だが、彼は果報者であった。六歌仙に名を連ね、多くの浮名を流すという、凡夫には願っても叶わぬ一生を遂げたのである。彼に不幸があったとすれば、宮廷内での栄達を得られぬという不満であり、希望する官職に届かなかった不平にある。だから彼の不幸は、自ら抱いた大欲、我欲に始まる。そんな大望をいだかず、現状に自足しておれば、彼は十分幸福であっただろう。

先月末、面白い本を読んだ。大岡敏昭『新訂 幕末下級武士の絵日記 その暮らしの風景を読む』(水曜社・2023)である。主人公の尾崎石城は忍藩(おしはん。現行田市)の下級武士であり、元は中級の武士であったが、藩政にしばしば意見書を出しては、藩重役の不興を買い、降格の憂き目にあう。当然、経済的にも困窮する日々となった。だがそれに落ち込まず、学問にはげみ(大変な読書家である)、周囲の人々、たとえば元の同役(現在の上役)、近隣の住職たち、あるいは料亭の女将や町民らとも分け隔てなく付き合い、また彼らとの酒席をたびたび持った。近くの寺には、住職不在の折でも上がり込み、寺男らと食事を作り、痛飲してはそのまま泊まって朝帰りとなる。その様、まるで我が家である。さらには、身辺の貧窮する町民やその子供たちにも彼なりの支援を惜しまず、軽やかに、楽しく生きた。

藩からの俸禄を越えた、時に豪勢な生活を支えたのは、彼の天性の絵心であった。上役、料亭、住職らから頻繁に求められる掛け軸、襖絵などを書いては謝金を得た。が、勿論それでは足りず、質屋通いや、辛い蔵書の処分もあった。そんな生活ぶりを、石城は軽妙な絵日記に描き止める。スナップ写真のように一瞬を切り取った人物像には動きと表情があり、見ていて飽きない。同時に、そこに描き止められている下級武士の簡素な生活のしつらえも、現在の我われのごたごた物にあふれた生活よりもよほど美しい。 たしかに彼の日常は、有り余る才能を押し殺され、酒でその憂さを晴らさざるを得ないような鬱屈の日々であっただろう。折しも、暮れから正月にかけて閉門蟄居の命が下る。文字通り戸を開けることも許されず、外出はおろか風呂にも行けない惨事となるが、罰が説かれたその日、先ずは湯屋に行き、月代を当て、それから来る見舞客たちとの再会は待ちに待った瞬間であった。こんな生活と幸福もある(この項、終わり)。


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