2026年01月09,19,26日

1月9日・金曜日。晴れ。この所、夜間の冷え込みは相変わらず厳しいものの、日中の日差しは、日ごとに春らしさを増してきている。まさに新春、体のほぐれを感ずるが、これを十全に歓ぶ気分にもなれない。ほどなくあの酷暑に襲われるかと思えば、今のこの寒さを身内に十分沁み込ませておこう。そんな気に捉われる。

1月19日・月曜日。晴れ。第二次大戦以降、辛うじて支えられてきた世界秩序が崩壊しかかっている。言うまでもなく、トランプ政権の常軌を逸した横暴さのゆえだ。国際法は不要で、自分を縛るのは自分の道徳(筆者には全く意味不明)だと嘯く。彼の意に反すれば、有無を言わさず武力や経済制裁を課す。世界は、突如、理想や法の支配から、力(武力・経済力)の支配する「弱肉強食」の世界になった。これはプーチンがウクライナに侵攻した4年前頃から強まったが、たったそれだけの期間で、これだけの変化、そして惨事を、人類は見せつけられたのである。民主主義とはかくも脆い組織だと、改めて思い知る。

1月26日・月曜日。晴れ。厳しい寒気、続く。この間、ダボス会議(スイス)がもたれ、カナダのカーニー首相の基調講演が聴衆の心をつかみ、世界に感銘を与えた。名指しこそしないがトランプ政権を見据えて、「大国への迎合は安全を手にしえず」と、世界の大舞台で言い切った。

これに比べて、トランプがノルウェイ首相に送った手紙は、別の意味で世界を唖然とさせ、ニューヨークタイムズ(1/24~25)のコラムニストは「常軌を逸した錯乱と妄想だ(deranged and delusive )」と嗤った。そこには、ノルウェイ政府がノーベル平和賞を自分以外の者に送った故に、もはや世界平和にかかわる意思が失せたとあったからだ。かかる人格が世界最高権力者なのである。彼を選挙した米国人の恥辱はいかばかりかと同情し、また世界の不幸を思う。何たる悲劇であり、転じて「喜劇」ではないか。

昨年末(12/28)、朝日新聞が筆者には面白い問題を提起した。「この一世紀で人々は賢くなったと言えるのだろうか。幸せになったと言えるのだろうか」と。これはそれまで1年半にわたって連載された「百年 未来への歴史」という記事の中の一つである。筆者がこの記事に特に興味を持ったのは、江崎玲於奈氏(1973年ノーベル物理学賞)の「この百年 人類は賢く 幸福になった」という、誠に明るく、ポジティヴな答えに触発されるものがあったからである。

江崎氏の言う、人類がこの百年、「賢く、幸福」になった理由はこうである。百年前の世界の暮らし向きに比べて、現在は総じて豊かになった。それは科学技術に支えられて、生活環境が改善されたからだ。つまりここでの「幸福」とは生活上の物質的な改善のことであり、その改善を可能にした科学技術を進歩させただけ、人類の「賢さ」は増した、と纏められようか。

ただこれに対しては、人間の賢さや幸福は、ただ技術の進歩や生活改善のみで測れるものでもなかろうという、嫌みな問いを提示出きそうだが、そうしたことを含めて答えるには、高々一頁のインタビュー記事では、所詮無理な話で、だから、この問いに対する江崎氏の回答について、筆者はそれとして了解する。

たしかに科学の進歩は、人類の進化・前進をはかる最良の目盛りに違いない。では、科学は何故、「進歩」するのか、あるいは出来るのか。氏は言う。「科学的発見のプロセスは、常に先達の積み重ねの上に、論理的にきちんと整合した形で、革新的な知識が加わっていくもの。言わば、科学には仕組みそのものに「進歩」が内在している」。これを、かのニュートンは絶妙な比喩を使って、こう言った。「私が他の誰よりも遠くを見ることができるとすれば、背の高い巨人の肩の上に立って、視野を伸ばしているからだ」。

ここでは、科学ばかりか、人間の進歩の在り方が、これ以上ないほど平明に述べられ、同氏の説明には欠ける所はない。流石である。そして同時に、ここに、我われ人間の進歩の在り方の限界が提示されているようにも、思われるのである(以下次回)。


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