10月27日・月曜日。晴れ。ここ数日の寒さはどこへやら、快晴とまではいかないが、Tシャツ姿の外国人を見る。わが身と引き比べ、チョイト、驚く。
11月10日・月曜日。晴れ。気づけば霜月。久しぶりのことだが、雨続きの寒さにやられて、鼻かぜを引き、2,3日寝込んだ。幸い、それ以上の大事には至らず、本日出社となる。
承前。まだ15歳の麻紀氏は、18歳と偽り、札幌ススキノのゲイバー店に「マメコ」として出る。グリーンピースのように顔も背も小さいことから、ママが付けた源氏名だ。思わず「やだわ、って思ったけど」、ママが励ます。「あんた、マメコは売れる名前だよ。一流になるよ」。ここを皮切りに、その後道内を、時にヤクザに追われ、借金を踏み倒しながら転々とするが、舞台は本州に移って、いつしか鎌倉の「青江」に流れ付く。「海の家のような掘っ立て小屋」の暮らしは、「地獄に行こうか、青江に行こうか」と言われるほどの日々であった。そして、ここで今に続く「マキ」の名前を得るが、同時にこの道で生きるに必要な手管のすべてを身につけた。
「すごい時代ですよ。高度成長期に入るのに、戦後のどさくさも残ってて、新橋や有楽町なんて立ちんぼがいっぱいいたのに、東京五輪が始まるからって排除されたの。マヤちゃんもその一人。私に全部教えてくれた人よ。男のだまし方とか、セックスの仕方とか」。
確かにそうであった。東京五輪の10年前頃からであろうか、東京中が掘り返され、せわしなくダンプが行きかう。巨大クレーンが狂ったように大空をかき回し、東京タワー(1958)が日々背丈を伸ばしていく映像が、筆者の眼にも浮かんでくる。だが、こうした怒涛のような経済成長の陰では、有楽町や新宿といった繫華街の裏側には、ここで言われるような人達が佇んでおり、それをこわごわ見たのを薄っすらと思いだす。わが15歳の頃であった(以下次回)。
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