9月22日・月曜日。曇り時々晴れ。
9月29日・月曜日。晴れ。いまだに夏日があるとは。トランプ大統領は、国連総会で地球温暖化は存在しない、詐欺だ、とまで言い切った。米国民はこれをどう受け止めているのだろう。地球の明日が、本当に心配だ。このままでは将来世代に申し訳ない。そして、長期にわたる真摯な科学的研究とその成果を、己の金儲けのために一撃で否定できる人間が世界の最高権力者になった恐怖を覚える。それを許した政治制度の問題はさておき、ここでは現在を予見したような、米国映画『デイ・アフター・トゥモロー』(2004)をあげておく。科学からの真剣な警告を、経済的利益のために政治権力がにべもなく抹殺するが、その結果生じた地球規模の悲惨がありありと描かれている。
本日、前回の文章にやや手を入れた。
久しぶりにこんな川柳を詠んだ。
ヤッパリな 自分のためか 石破ダメ みつお
本日(22)、自民党総裁選が告示され、5人の立候補者が届け出た。何のことはない、たったの一年前、もう少しごちゃごちゃした顔ぶれの中にいた面々で、今度こその意気込みで突進してきた一年浪人組ではないか。先だって、立憲の野田氏から、まるで敗者復活戦だ、と揶揄されたが、中々のパンチであった。一浪生の敗者復活戦というなら、ここは乾坤一擲、さぞや根性と覚悟の入った勉強の成果が見られるのではないかと期待もするが、これまで聞こえる各候補者の弁からは、そうした熱量はまるで伝わってこない。総裁選には「#変われ自民党」なるコピーが掲げられたが、これは痛烈な皮肉なのか、それとも表紙だけ変えようと言う意味なのか。
現在の我が国の国情は、ご存知の通り、こんな総裁選ゴッコにうつつを抜かしていられるほど呑気なものではない。トランプ関税の後始末から外国人労働者、コメ問題、急激な物価高にくわえて国民生活に密着した諸課題の一刻も早い解決が迫られているというのにである。これら一切を棚ざらしにしてまで総裁選の前倒しを急げと、どれほどの国民が要望しているのだろう。それどころか、少なからぬ国民からは石破辞めるなコールの声が上がっていたではないか。
とすれば、今回の総裁選は、自民党が直近の参院戦で3連敗を喫した責任を全て石破政権の政策的失敗に帰し、お前のセイだと言い立てる。こうして有無を言わさず引きずり下ろして、今度こそ総裁にありつこうとする権力亡者の権力闘争、というより足の引っ張り合い、国民不在の「コップの中の嵐」に過ぎないように見える。それどころか、こんな政治家にとっては、この度の自民党敗北は、残念どころか、待ちに待ったチャンス到来の奇貨として、押し頂くような思いでうけとったのではないか。もっともらしい理由を立てながら、自分のための石破降ろしであったのだ
言うべきことは、多々ある。だがここでは、候補者の中にみられる次のような主張に対し、言っておきたい。今回の党敗北は、裏カネや教会問題は関係ない。その決着はつけられている。政権の間違った政策の結果なのだ。よって、今後の内閣人事も、そうした問題とは切り離し、適材適所の原則に従う。
断固、反対する。冗談じゃない。特に裏カネ問題は何も決着を見ていない。それが生じた原因と経過はいまだ不明であり、であればまた同じことが起こりうる。企業献金の在り方も宙に浮いたままだ。自民の「政治とカネ」は積年の問題でありながら、いまだ決着をつけようとしない。そうした不信が凝り固まって、この度の結果になった。仮に、いかに立派な政策を示そうと、信頼の持てない政党にどうして投票できようか。それを、しっかりした政策によって結果を出せば、国民は分かってくれるとは、これほど国民を馬鹿にし、舐め切った話はない。これを言う候補者にとって、この手の国民の怒りなんぞは、チョイト経済を良くしてやりさえすれば、たちどころに消えちまうものなのだろう。
こうした党の根本的な真の問題に手を付けず、その覚悟も決意もないまま、ただ上辺だけの政策を並べ立て、これぞ「#変われ自民党」の中身なのだと言っていられるならば、自民はただ「変わり果てた」姿をさらしているに過ぎない。この党には、政権を担う責任はもはやない。
なお、解党的な改革の言葉も候補者たちから出ているが、本気でこれに取り組むおつもりなら、ほぼ50年前の1974年に出版された田中秀征『自民党解体論』(復刻版『新装復刻 自民党解体論』旬報社2024)を熟読されることから始められたらよろしい。と、御節介ながら、一筆、添えておこう。恐らく、どなたも読むまいが。
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