9月1日・月曜日。晴れ。本日より長月。夜が次第に長くなると言う意で、本来は「夜長月」というらしい。涼しげな響きを感ずるが、その実は熱帯夜という何とも凄まじい夜夜ではある。
9月8日・月曜日。晴れ。
石破総理は、昨日、党総裁の辞任を表明する。理由は色々あるが、ここでは「党内に決定的な分断を生みかねない。それは決して私の本意ではない」の一言を上げたい。正直、この文章を読んでも、筆者にはその意味が今一つ分からないが、多分、こういうことらしい。このまま臨時総裁選を行うには、その前に、手続き上、議員各自の意思確認のために署名捺印した文書の提出が求められ、それはまた石破降ろしの踏み絵となって、石破派、反石破派の対立が生じ、ひいては党の「決定的な分断」を呼び起こすから、それは避けたい。
もしこの要約が正しければ、妙な話だ。政治集団とは、常にのっぴきならない利害対立の坩堝(るつぼ)にあり、それを激しくも真剣な討議、説得、調整を通じて、最後は不満を残しつつ、一つの解へと辿りつくもので、であればこそかのビスマルクが言ったように「政治は芸術」なのであろう。それを対立のたびに「決定的な分断」に陥るようでは、子供のけんかであり、話にならない。老獪な自民党にそれが分からないわけがない。
この度の辞任表明に至るまでに、筆者から見れば、党内にはまったくみっともないやり取りがあった。実は、臨時総裁選なるものは、実際に行われたことはなかった。で、いかなる手続きで開催されるべきか、委員会が設置され、そこで議員の意思確認のために署名捺印の文書提出が決まる。ここに一幕の喜劇が演じられることになった。それまで鼻息の荒かった議員諸氏は、己の名前が天下にされることに恐れをいだき、右顧左眄、周りはどうか、地元民から石破降ろしに加担したのか、と叩かれるのではないかとか、大勢が判明するまでダンマリを決め込んだのである。折しも、石破辞めるな、コールが鳴り響き始めた頃であった。
我われは、自らの確たる信念もなければ、意思もない、実に情けない人間を議員に持ったのである。小学校の学級委員会でもはるかに自立した意見が聞かれる。こんな人間集団だからこそ、派閥から還付されたパーティー券の売上金を、法に触れると予感しつつ、派閥の事務総長辺りから「皆さんそうしておられますよ」と囁かれ、報告書への記載もなく、であれば臨時収入であるから納税の義務が発生するはずだが(国民は一円たりとも許してもらえない)、それもないまま適正に政治活動に使っただの、机の引き出しに入れたままにしておいただの言って、見苦しい言い訳にへどもどしたのである。君たちは、国会議員なのだ。自分の意見をしっかり持ち、正しいと思ったことは、きょろきょろせずに、まっすぐ行いなさい。 最後に、石破総理に申し上げる。貴方は党の「決定的な分断」を回避し、自民党を救われたのかもしれない。それによって、自民党議員には感謝されるだろう。だがそのことによって、貴方は国民を見捨てたことにはならないのか。上記のような人間集団の党を温存させ、そこから党は再生できるのか。とてもそうは、思えない。ここは一番、自民党を思い切って解体し、新たな政治地図を描くべきではなかったか。そうしてこそ、この国の今後の安寧と平和の基が築かれたのではなかったか。貴方は最後の最後で、そのチャンスを自ら放棄したのである。これまでと同様、決定的なところで、周囲の圧力に屈し、怯懦のゆえにである。私は、それが無念である(この項、終わり)。
コメントを残す