7月28日・月曜日。晴れ。言っても詮無いことながら、連日の熱暑に参る。
7月31日・木曜日。晴れ。熱は高きから低きに流れる。体温より大気が低ければ、体熱は外気に出るが、逆になれば外気熱が体に入って、熱は体内にますます籠るのみ。場合によっては、危険な状態に陥る、とは先ほどテレビで教えられたばかり。40度を越える日が珍しくなくなった。これはもう「毎日、暑いね」と言って済ませる限度をこえた。政治、行政が真剣に取り組むべき挑戦であり、世界とも連携していかなければならない。だが、まだ間に合うのだろうか。
参院選の結果はご承知の通りで、石破総理はその結果責任を負わねばならない。それを認めた上で、今、自民党内で渦巻く石破降ろしには、筆者は賛成しかねる。総理就任後の選挙で三連敗した責任を問うてのことだが、これを招いた直接の原因は、総理にのみあるとは考えられないからだ。それは、当の石破総理自身の思いでもあるだろう。
衆院選の敗北は、総理就任直後のことであり、それ以前に仕出かした自民党議員の身から出た錆である。統一教会との癒着、裏金問題がそれである。これらに対し、当事者たちはまともに向き合わず、言い訳と責任転嫁に狂奔していた。裏金議員たちは、当初、その事実自体を認めず、逃げられないと知るや、知らなかった、秘書がとなり、最後は検察からの不起訴を身の潔白の証だと強弁する厚顔さであった。その後の企業献金の禁止や透明化の法整備では、野党間の調整もつかぬ情勢に付け入り、これを審議未了に追い込み、結局、国会審議を逃げ切った。
国民はこれら一連の顛末を見てきた。そして、選挙のたびに鉄槌を下した果ての3連敗であった。その結果責任をただ総理のみに押し付け、石破降ろしの先陣を切っているのが、旧安倍派の4だか5人衆の面々だと報道にあった。冗談じゃない。彼らこそ教会との癒着や裏カネ還流の仕組みに深く関わり、連敗の責任を第一に負うべき連中ではなかったか。この点を衝かれて、世耕氏は「真摯に受け止める」と言いながら、選挙で民意を受けた身でだと、暗に禊は済んだと言わんばかりであった。彼の言う「真摯」とは、一体、いかなる意味なのか、筆者にはしかと判じかねる(朝日・朝刊7/30)。
それにしても、選挙での当選がそれ以前のすべてを帳消しに出来るほどの免罪符になるものだろうか。地元では実績やしがらみから票を得ても、それが彼らの行状が認められ、許されたことにはなるまい。であれば、彼らはまず第一に深い謝罪と弁明、そして一層地元の発展に励むと訴え、一票を拝むようにしてもぎ取るのである。だが、選挙民の心には不信の念が深く残るであろう。しかも、こうした不信感は他の選挙区に波及し、同僚議員の票に響く。自民の退潮はその結果であり、こう考えれば3連敗の責任は彼らにこそあると言うべきではないか。
ここには、深い病理があると言いたい。選挙なんか所詮茶番だ。有力者であり、実績さえあれば、どんな悪事も許され、結局は当選し、すべては無いものとなる。こんな奴に勝てる分けもなく、投票なんぞ無意味だ。かくて選挙は形骸化され、民主主義の基盤が掘り崩される。その隙をつくようにして、嘘と誠が入り混じり、怪しげで俗受けする主張がはびこり、人気を博し、気づけば途轍もない大権力者が目の前に現れる。ヒットラーはそんな風にして出現した。そんな足音がこの社会にも、かすかに聞こえてきているような気もするが、それは我が空耳なのであろうか。
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