2025年05月19,23日

5月19日・月曜日。曇り。
5月23日・金曜日。曇り。

前回(5/12)、八潮市の下水道陥没事故に関して一言したが、この度、朝日新聞(5/17・土)に、今後の「復旧作業」の在り方についての言及があり、ここでの叙述にもかかわるところから、紹介かたがた論を進めよう。事故の下水道線は、すでに言ったように、一続きの大規模なものであり、その結果、事故は想定外の規模になった。そこで言う。
「大規模な管路に集約させて処理をする方法を改め、管路を複線化したり、幹線同士をつなげたりするなどの下水道システムの再構築についても検討を促している」。確かに「複線化」と相互の連結により、損傷に際しても下水道の機能を止めずに、工事も大掛かりにならずに済む。だがこれは、すでに前回見たホープレヒト方式そのものであり、この点で我われは、彼に百年以上もの後れを取ったと言えよう。何故、こんなことが生じたのかと不思議な気もするが、思うに現代人の現代技術への過信から、行政、技術者らにはこの種の事故のありうることに思い至らず、「大規模な管路に集約する方法」を取らせたのであろう。経済性、効率性を考えれば、集約方式に勝るものはないからである。
そして、これに付された林官房長官の談話が、現代人の下水道システムへの関心のあり様を示して、実に興味深い。「インフラの維持管理は国民の生活に直結する取り組みであると痛感した。老朽化対策をしっかりと進めたい」。今さら何を、と唖然とさせられる言ではないか。この国の最高位に位置する官吏の一人であり、しかも知性において並ぶもの無き政治家だと、常々、敬意を表しているが、その氏にしてこの程度の認識である。
だが、筆者は同氏の関心の低さを非難したいのではない。むしろ言いたいのは、彼に限らず、政府や政治家一般の姿勢や意識の問題である。一たび完成した構造物は、現代の科学技術からすれば、メンテナンスに多少の遺漏があっても十分な堅牢さを保つといった過信であり、さらには眼前にされていないモノ、事共は、すべて平穏無事なことにしていたい。そもそも見えないことにカネをかけて、一体何票の票になろうか、といったソロバン勘定があったとすればどうであろう。それにしても、政府のインフラに対する、こうした認識を思うと、この所声高に唱えられている「国土強靭化」政策の実がどれだけあげられるものか、誠に心もとない。迫りくると言われる「南海トラフ巨大地震」を思えば、それは痛切である。そのような不安を、この度の事故は国民の前に改めて呼び起こしたのである。


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