2025年03月31日,04月04,07日

3月31日・月曜日。花曇り。三寒四温とは言え、過日の夏日が一転し身すくむ。先週の木、金の両日、所用の後、江戸川公園、不忍池に夜桜見物と洒落てみたが、いずれも風強く、公園は三分咲き、池ではインバウンドと重なって風情も何も無し。それにしても、近年の桜花はかつての輝きとハリが失せたような趣だが、それはただ老いを彷徨うわが身の写し絵に過ぎないのだろうか。

4月4日・金曜日。晴れ。本日、花見の最後のチャンスと思い定め、有楽町線江戸川橋にて下車。午後の日盛りに映える満開の桜を期待したが、樹々の多くは枝払いされ、花は瘦せていた。4,5年前はこんなことはなかったように思うが、これは当方の錯覚なのか、近頃はどこでも見られる光景なのだろうか。ただ、若枝に咲く花はやはり美しい。

4月7日・月曜日。晴れ。やや薄曇り。トランプ関税砲が止まらない。世界的な大混乱はご覧の通り。これを狂気の沙汰と難じたのは、ノーベル経済学賞のクルーグマンである。こうした結果は、すでに世界中から指摘されていたが、大統領は断行し、「米国解放の日」と誇った。今後の成り行きが、偉大なアメリカをもたらすのか、米を含めた世界の大恐慌を来すのか。これはまた、正しいのはトランプの魔法か、近代経済学なのかの争いである。学問の有効性が試されている。

いま、ガルシア=マルケス『族長の秋』(鼓 直訳・2025・新潮文庫)を読んでいる。そこで展開されるグロテスクなまでの世界の猥雑と喧噪、汚わいと悲喜劇の終わりなき連続には、辟易させられる。そして、素材も内容もまるで関係ないが、これを読み進めるうちに、いつしか現在米国から発信され、世界を巻き込んでいる暗澹たる無秩序が、何故か重なって見えてくる。

承前。先に述べたヴィーべの考えをひっくり返したようなプランを携えて登場したのが、ホープレヒトである。彼の家族は、父がプロイセン王国の経済界の重鎮と目され、さらにはビスマルクの蔵相を務めた兄を持つほどの華麗な一族であるが、彼自身は徹底した実践の人であった。父譲りの農学への関心から、これを実践的に補充するため測量技師となり、後には水路、道路、鉄道建設技師の国家資格をも取得する。またヴィーべの助手としてロンドンやヨーロッパ先進諸都市の下水道視察に同道し、こうして都市建設事業のプランナーとしてのキャリヤを積んだ。ことを先取りして言えば、彼の構想はほぼそのまま承認され、B市は大規模な下水道建設に着手し、その成功が彼の令名を高め、後にモスクワ、東京市他にも招かれ、世界の都市の浄化対策について多くの功績を残すのである。

ちなみに、明治政府が彼を招聘した趣旨は、帝都の議事堂他行政街区の設計であったようだが、都市環境衛生についても具申し、そこでは上水道の建設を優先させ、下水道建設は費用の面から見遅らせたようである。その背後には、当時ようやく確立してきた細菌学によって、伝染病対策は薬の開発によって抑制できるし、これは下水道建設よりはるかに安価に済むと言う経済的な事情もあった。そのためでもあろうか、東京都の下水道化は昭和30年代に至るまで待たなければならなかった。

なお、彼の東京滞在は明治20年3/31日から同年5/14日までの1.5カ月に過ぎなかったが、その間に彼が抱いた日本人観が面白く、またほとんど知られていないと思われるので、ここに紹介しておこう。それは妻にあてた手紙の一節からである。「巨大な期待に立ち向かうことは、何たる恐怖。そんなことをするなんて、普通じゃない。ヨーロッパ風ではないね。すべて取り決めてきた上なのに、私がここ日本に一年ほど留まり、お喋りをし、下らんことをしながら、旅行にも行き、最後にヨーロッパの魔法の杖にふれたとたん、水道や下水道が完成するという、密かな希望をかなえてやる。そんなのは当然だ、と思っているらしいんだ。長い仕事を一歩ずつ進めてこそ目標に達するのだ、ということをアジア人はまだ本当に考えることが出来ないのだ。だからここでは皆が言っている。日本人は子供なんだ」。

どうであろう。彼は往時の日本人の親切心、美意識に深い共感を示しつつも、他方、上から目線で後進アジア人を見下す、多くのヨーロッパ人と同様の見方を持っていた。だがこれはヨーロッパ人特有のものではなく、人とはこうしたものなのだろう。現に「脱亜入欧」を説いた福沢はじめ、現在の我われにも無縁ではない心根ではないか。そして今、インバウンドに沸くこの国を訪れる多くの外国人たちは、我われをどのように眺めているのだろうか。我われは少しは進歩したのであろうか(以下次回)。  


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