2025年03月14,17,24日

3月14日・金曜日。晴れ。以下は2/21(金)からの続きである。

3月17日・月曜日。晴れ。突風しきり。

3月24日・月曜日。曇り。本日、開花の宣言発出。前回の文章、後半部分を大幅に加筆した。

上下水道の建設から見た、新たな街造りとはどう言う意味であろうか。これを考えるにあたり、唐突だが、19世紀後半、ドイツの首都ベルリン市(以下B市と略記)で行われた下水道建設の事例を取り上げてみたい(以下は拙著『汚水処理の社会史』(日本評論社・2008)による)。

往時のB市の凄まじいまでの不潔の惨状は拙著を参照いただく事にして、であれば市は、これをそのまま放置することは許されず、どうにも下水道建設の必要に追い込まれた。この問題に取り組むため、市は下水道建設のプランニングを広く社会に募る。その中から、最終的にヴィーべなる人の案が俎上に上り、同案に基づく建設の可能性が検討されることになった。彼の骨子は、先の八潮市で見たような閉鎖的な下水道体系だと言えよう。そこではB市全市を一続きに繋げた体系が描かれ、そうした汚水の全量が最終地点に集約されて、そのままB市を貫流するシュプレー川へと自然放流するというものであった。

現在のような汚水浄化の装置やその技術を欠いた当時(1860年代)にあって、それは当然、途方もない汚臭ほかの環境問題が想定されることから、放流地点はB市圏を離れた、いまだ無住の地であるシャルロッテンブルグの下流域が選定された。

だが、ここには克服しがたい難問がいくつか浮かび上がってきた。まず、平坦な地形のB市では、下水道内での滞留を来さないほどの自然流水を確保するために、その斜度を深くせざるを得ず、長大になるほど建設は困難になり、費用の増加は事業の継続を危うくしかねないものとなる。八潮市の場合、10mの深さであったと言うのも、こうした事情と無縁ではあるまい。

次いで、放流地点とされた地域の社会事情がある。当プランの構想時点でも、ヴィーべは市および当地域の将来的発展を視野に入れていたとはいえ、その後の発展はその予想をはるかにこえ、彼の案を実施に移せば、シュプレー川の流量では、放流された汚水を十分希釈し無害化することなど、とても不可能であったであろう。つまり、急速に進展している市域圏の人口、経済、市域構造等の長期的な趨勢(成長及び退勢を含めた)予測など、およそ人知をこえた営みなのではないか(因みに、シャルロッテンブルグは20世紀初頭には、無住の地どころか、30万人に迫る帝国一級の都市へと成長するのである)。これを八潮市に当てはめれば、前回言ったように、当該下水道線に押し寄せる汚水流量をはじめ交通量、建設、気候、地震等の諸要因の予想を超えた影響などが挙げられようか。

そして、当時すでに、科学者は汚水・汚物が下水道管に及ぼす腐食などの化学的影響について、市内にある夥しい数の溜め置き便所の瓦解と屎尿の地下水(しかもこれは飲料水の源泉でもあった)への漏出の経験から、ほぼ正確な知見を持っていた。その際、十分焼の入った煉瓦造りの便器でも目地の部分から腐食し、釉薬処理された下水道管でも事情は変わらず、その耐用年数は2~30年とされていた。これによれば、大掛かりな下水道体系の維持は困難だという指摘も出されていたのである。以下の一文は、これについての拙著からの引用である。

下水道内での「細かなひび割れ、亀裂が、松明のような灯りで発見されることは、まずありえず、下水道に生じた不具合は、汚染の蔓延や逆流、滞留といった大々的な機能不全からようやく気づかされるほかはない。しかもその場合には、下水道による汚染はすでに甚大であり、その修復にも莫大な費用と工事を要することになる」(239頁)。

下水道内の腐食の問題は、この度の八潮の陥没事故の主因とも考えられるが、とくに120㎞にも及ぶ下水道の点検、管理は、「松明」よりはよほど進歩した現在の技術をもってしても、至難なことであったろう。さらに過日(朝日3/19)の報道によれば、現在、工事費として上程された県予算では、既決額(40億円)を含めて90億円を見込んでいるが、これで終わりではない。「今後さらに追加工事が必要になることも予想され、工事費の総額は不明」だからである。これを見ても、この度の事故がいかに甚大であるかは、改めて言うまでも無い。

それにしても、120年前に練られた下水道プランとそこでの議論が、まるで現在の八潮市の陥没問題を予見したかのようであるが、如何であろう。恐るべし、歴史学(以下次回)。


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