2月3日・月曜日。曇り。以下の下水道事故については、主に朝日新聞の記事に依っている。
2月7日・金曜日。晴れ。寒波が続く。大分前に(1/17)、寒波は節分頃には緩むと言ったが、大外れであった。ゴメン。なお、わが神経痛はほとんど快癒したが、60年前の病患を変に思い出したせいか、背中の左肺あたりに妙なコリを意識させられる。生活に支障はないが、あまり嬉しくはない。
八潮の道路陥没の拡大は何とか止まり、救出用の重機が投入され、ようやく運転手救出の準備が整ったようである。事故発生(1/28)から早や1週間。事態の深刻さを思えば、作業の一層の進捗を祈る他ない(これは2/3時点の話で、本日(2/7)もなお救出のための準備段階にあり、それだけ現場の窮状は言葉もない)。
作業の遅れは、現場の怠慢ではない。このことを、先ず言っておく。地質はシルト層と称する砂よりも粘着性に欠け、崩れやすい上、大量の下水や湧き出た地下水が上から崩落してきた土を流して、周囲の土が次々奪われ、地表の陥没を拡大したという。これでは作業の足場が築けず、二次災害の可能性もあって、しばしば作業の中断を余儀なくされた。そのため、流入する下水を止めなければならず、当下水道線に関連する12市町の住民に下水道使用制限が要請され、ほぼ120万人の住民が大小の影響を蒙ることになった(これは全県民数の約16.4%に当たるようだ)。
中川流域下水道と称する当下水道幹線は、地図によれば幸手、白岡、春日部、越谷、草加、川口東部そして八潮の各市を貫き、県東南部の全域に広がる比較的人口稠密な地域を含む。工場も多く、それだけに上下水道の使用流量は膨大であろうと推察される。
陥没現場は八潮市大瀬6-5-1とある。三郷市下水処理場までは指呼の距離にあり、そこで処理された下水が中川に放流される。つまり、事故現場まで運ばれた下水は、それまでの旅路のほぼ最終地点にまで達しており、であれば事故現場は全ての下水の集約点にある。しかもここまでの当下水道線の総延長は、121㎞と長大であり、その間に多くの支線、幹線が接続され、その全ての下水を受け容れて現場に至るのであるから、その総量が膨大になるのは当然であった。
とすれば、現場の下水道管が直径4.75mと、ゆうに大人二人が縦に立てる以上の巨大さであるのも頷けよう。しかも現場は直線ではなく、カーブして埋設されている。それだけ汚物は滞留し、硫化水素が発生しやすく、それがコンクリートを徐々に腐食し、ついには壁を破って陥没を来した。管内に堕ちた土砂は道管の大きさ、流量とその水圧に押し流され、崩落はさらに拡大した。そのことは、破損個所の探知のために投入した水中ドローンが、水圧のために押し流されて役立たなかった、という報道からも察せられよう(朝日新聞・2/5)。
しかし、管内に落ちた土砂は全て押し流されたわけでもない。その一部は管内に滞留し、それが堰となって下水管の破損個所から陥没した穴へと逆流していく。そこに周囲から湧き出た地下水が加水し、こうしてすり鉢状の穴に湧き上がる水位を押し上げた。大量の汚水から発する汚臭と足場となるべき土台が崩れ、それが救出、補修作業を一層困難にしたのであろう。
この崩落の拡大は、10mの深さに埋設された下水道管の位置とも関係していると思う。初め小さく空いた穴から少しずつ土が落ち込み、次第に周辺を巻き込むが、深みがあるほど地表面に生ずるすり鉢状の陥没域は大きくなる。それは丁度砂時計を立てた図に似ていよう。ただ砂時計と違って、この場合、下に土砂は止まらず、崩落する土砂を呑み込み続けた。
同時に、地中には水道管、ガス管他も埋設されており、それらが微妙な均衡の上に収まっているのが、周囲の崩落により破壊され、それは別途の生活上の困窮を生みかねない。この度の事故はそうした多岐に及ぶ問題にも触れあうことであり、それに対応しようとすれば、街づくりに始まり、ひいてはこの国のあり様を一から見直そうとするほどの奥深い問題に行き着くものではないかと、私は思う(以下次回)。
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