2024年11月06,08,13日

11月6日・水曜日。曇り。トランプ大統領誕生まぢか。筆者はあえて言う。かくて地球の温暖化、環境に対する世界的な取り組みは後退し、ウクライナ戦争はロシア寄りで決着する。世界の法秩序の崩壊と共に、力による支配の横行等々。今後の世界の政治経済は、すべてディール、すなわちカネと力を基とした交渉力によって解決されようとする。

この者には世界平和、人類の幸福などという思いは、カケラもない。あるのは損か得かだけである。そもそもそうした手に握ることの出来ない理想、理念、真善美などという抽象的な世界とは全く無縁な人物なのであろう。この見立てが間違っておれば、まずは彼に謝罪し、当ブログを閉鎖する。事の成否は向こう4年間で分かる。

11月8日・金曜日。晴れ。夜間はさすがに冷えてきた。11月13日・水曜日。晴れ。日差し強く、霜月とはとても思えない。なお、前回の文章の後段を書き換えた。前回、そのくだりを書くにあたり、かなり朦朧としていたのを思い出す。

承前。青山透子氏の主張は多岐に及び、その全てを追うことは出来ない。ただ、筆者の関心にとっては、取りあえず、以上の要約で十分である。

それは以下のような事態を明瞭に示しているからである。国家権力はその根幹を揺るがす重大な事故や不祥事は、何が何でも隠蔽し、無きものにしようとする。それは、誰でも人は、自分にとって途方もない不利益、不名誉に成りかねない問題は隠しおおしたいのと同様である。しかし、事が国家的な事案ともなれば、その深刻さは個人の比ではない。国家の隠蔽は断固としており、躊躇はない。よって取られる手段は容赦も、限度もなくなる。そこに巻き込まれる犠牲者は、「日航123便」が示すとおり、生き延びた者を見殺しにし、また火炎放射器の使用すら厭わぬほどに徹底的となる。冷酷・無謀と言えばそれ迄だが、それがもたらす災害は計り知れない。だが、こうした政府の狂暴を放置するなど、被害者は勿論、国民としても許すことは出来ない、また許してはならない。これを許せば、政府は倫理的に堕落し、さらに歯止めのない狂気に突き進みかねないからだ。

このように辿ってみれば、「日航123便」の墜落は、ただ「524名」もの犠牲者をだした「単独機世界最大と言われる惨事」とのみ言って済まされる航空事故なのではなかった。この事故に対する当局の対処は、一見平穏に見える現在の我われの社会、国のあり様には、何とも捉え難い暗部と底知れぬ暴力を平然と行使する、そうした意思を垣間見させているからである。国家権力とは、本来、そういう非情さと背中合わせのものなのであろうが、そうであれば猶のこと、それをこのまま見逃し、放置すべきでは無かろう。それを許せば、国家はさらに図に乗って、国民の平穏な生活を崩壊させても、何ら意に介さないまでになろう。その一例を、我われはロシア政府にみることが出来る。そして、青山氏の一連の労作は、以上のような重大な問題をえぐり出し、人びとに気づかせたという意味で貴重な功績であったと評価したい。

では、こうした国家の横暴を阻止し、社会の健全さを維持するために、我われの側にはどのような手立て、対応があるのだろうか(以下次回)


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