2024年10月25,28日

10月25日・金曜日。曇り。ぬる温かい。列車内では冷房が入り、半そで客もかなり見られた。だが、時節は「霜降」(二十四節気)である。これはもはや、異常だ、と言って済ます段階ではない。国も世界も一体となって、強力な手を打たなければ間に合わない。にも拘らず、この国の政治には、危機感がまったく感じられない。この事を、10/4の便で難じておいたが、過日の朝日(10/22・火)に漸くこんな記事が出た。「いまそこにある気候危機 猛暑・米不足・災害・・・」、「なぜ選挙で語られない」。マスコミも遅いが、政治はさらに酷い。票に直結しないと言うのがその理由だが、自分の当落ばかりが重大事で、50年後の国民生活への関心がまるでないのは、どういうことか。こんな輩を政治家とはよばない。昨日、期日前投票をすます。

10月28日・月曜日。曇り時々小雨。相変わらず霜の降りるような陽気ではない。

昨日の総選挙により、自公政権が過半数割れに追い込まれた。しかも公明党党首は落選し、同党の退潮は覆い難い。株式相場は下落どころか、大幅反発。

すぐ後に米大統領選が続く。そして、米国を見ると、民主主義的政治制度の崩壊が始まったのかと訝る。過日のニューヨークタイムズには、今回の大統領選ほど「嘘、故意の誤報」にまみれた選挙戦はないとあった。ここで特にトランプ共和党の罪を指弾しておく。

承前。著者のいう「ゲル状燃料の武器」とは、前々回で見たように、火炎放射器が想定されている。その火力で機体に残る痕跡を溶かした。カリカリになった遺体の一部、またかの「黒い塊」は、その際の残骸物である。これら現場周辺の徹底的な捜査、検証は、本来、地元の群馬県警や運輸大臣の下に設置された事故調査委員会が一体となって行われるべきであるが、とりわけ事故調側では何故か抑制的であり、妨害的でさえあるように見える。例えば、相模湾沖に沈んだ尾翼の回収は、技術的には何の問題もないのに見向きもしない。

遺体回収は難渋を極めた。何体かの遺体は断裂し、四散したその片々をより合わせてやっと一体に復元されたという。その際の惨状は文字で追うのも辛くなるような状況にあり、夏の最中でもあれば、腐乱は進む。その作業を、地元の医師団が担った。その中でも、ある女性歯科医師の長期に及ぶ献身には(事故以来、年末まで続いたようだ)、人とはこれほどまで忍耐強くなりうるものかと感嘆させらるほどである。お蔭で、どうしても身元の特定できない遺体も歯型によって確認され、犠牲者の全員が確認されたのであった。そうした困苦の詰まった収容所への事故調の調査は、まったくのおざなり、文字通り、通り一遍のものでしかなく、見なくとも分かっていると言わんばかりであった。

事実、彼らはこの事故の原因は、何もかも分かっていたのではなかったか。そう思わせる理由に、この事故の原因ともされたあの後部圧力隔壁部分に対する彼らの無関心が挙げられる。本機の事故は何年か前の尻もち事故に対する修理がずさんで、補強箇所が十分でなかったことが、経年劣化によってついに機体内部からの圧力に耐えきれず、尾翼部分を吹き飛ばしたと結論付けられたのである。ならば事故の直接原因である隔壁部分の調査が、十分尽くされなければならない。それによってこそ、墜落時の隔壁の損傷の状況、経過が明らかにされようからだ。では、それはそれに相応しい扱いを受けていたであろうか。

「当時、墜落原因とされた最大の証拠物の後部圧力隔壁だが、それを調査する前に、自衛隊員によって電動カッターで五分割されて」しまった。しかも「その電動カッターで切り刻んだ部分が修理ミスとされている部分と隣接している。つまり現場保存が初動捜査の段階で全くなされていなかった」(「真相を語る」32頁)ということになる。しかし、切断される以前の当該箇所については、事故調委員の一人が「墜落直後の十三日に機体後部が見つかった谷底で、お椀状の原形ををほぼ完全に残した隔壁を発見。アルミ合金製の隔壁に放射状の亀裂が数か所入っていることを確認」ているのである。にも拘らず、貴重なこの証拠物件は、遺体収容やら搬出困難といった理由で、「日米合同調査の事故調査委員が来る前日の十五日に」「亀裂と放射状の骨組みに沿って細かく切り刻まれ」ており、その結果「隔壁の破壊が飛行中に起きたのか、墜落時の衝撃で亀裂が入ったのか不明」になってしまった(「新事実」24頁。なお、ここでの著者の記述は、他と同様、リアルタイムで報道された新聞記事に基づいることを、一言しておく)。

如何であろう。初動捜査での現場保存の重要さは、その後の調査、捜査の行方を決定するとは、今時、誰でも知っていることではないか。その現場を荒らした結果、もはや隔壁破壊の原因が不明になった。それを専門集団の軍が先導し、事故調が何も言っていないことこそ、事態の異様さを示している。つまりこれは、明かしてはならないことを、是が非でも、守り抜くという意思の表れであり、「日航123便」の「墜落」はたまたま起こった「事故」ではなく、「事件」なのだと言う著者の疑念を、筆者は支持する(以下次回)。


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