10月16日・水曜日。晴れ。かなり蒸し暑い。前回の文章の後段、やや手を入れた。
10月18日・金曜日。曇り時々雨。本日、風呂釜の部分修理あり。築後10年の我が家だが、いよいよあちこち手を入れなければならない時期が来た。こうして人も物も、そしてなにかもが劣化と手入れを経ながら、消滅と新生を繰り替えしながら、時は進む。だが、こうしたの時の進行は、今の時代、永続を保証されていない。いつ何時、人類の暴挙が、これを一瞬にして断絶させるかもしれないからだ。
10月21日・月曜日。曇り。前回の文章をかなり捕捉する。
承前。機長は追尾するミサイルを逃れようと、懸命の操縦を続けるが、遂に振り切れずに被弾し、尾翼付近を破壊し、その一部は相模湾沖に落下する(伊豆半島と大島間の上空。18時24分)。その後、横田基地への着陸も視野に浮かび、事実、公表された飛行ルートから確認されるように、同機はほぼ目前にまで迫った基地へと「まっすぐ向かっていたような動き」をみせるのである(「新事実」150頁)。しかし事故現場近辺を旋回し、その後同機と並走することになる2機のファントム機の内の「搭乗員と機長はなんらかの会話を交わし」たか、その後、「日航123便は山に向かって進路を変更せざるを得なかった」(同上、181頁)。
だが、この会話の有無は確定されておらず、著者の推測に留まり、ましてや会話の内容までは触れられてはいない。というのも、現時点ではいまだボイスレコーダーが全面的に開示されていないからである。そこで筆者はその会話をこんな風に補いたい。基地への着陸は、事故の説明が必然である。だがそれは、事の一切を露見させる。その結果、ミサイル開発の頓挫は無論、さらには自衛隊への不信、解体論、国防政策の破綻から内閣瓦解等々、連続する深刻な事態は免れまい、と。これは元隊員の機長には耐えがたいことに違いなく、それゆえ彼は「これはだめかもわからんね」(「新事実」188頁)の一言と共に、全てを呑み込む他はなかったのであろう。
この間の飛行は手負いの機にとっては生半のことではない。しかも眼下は起伏の激しい山塊が迫る。機体は制御機能を失い、大きなダッチロール(縦揺れ、横揺れの状態での飛行)に見舞われ、ただエンジン操作を頼りに、落ちるスピードをあやしながら高度を維持する飛行を強いられた。これはまさに「神業」である(日大教授・柚原直弘氏)(「疑惑のはじまり」221頁以下)。同時に、5百を超える乗客の驚愕と恐怖を思うと、息が詰まる。事実、多くの乗客はたまたま手にした紙に、震えながら記した遺書やそれに類した文章を残したのである。
ミサイルのようなオレンジ色の(ないし赤い)物体(燃料の燃焼か)が事故機に付きまとうようにして飛行していた様は、飛行経路に沿った地上からでも視認され、また機内の乗客も目にし、写真にも撮られている。ついにミサイルは命中し、「円筒形で真っ赤」あるいは「だ円っぽい形」、「オレンジ色の物体」(4~5メートルくらいの大きさ)を同機の胴体部分に付着させた(「新事実」120頁、188頁)。そして、これについて、著者はなんとも信じがたい、だが否定もしがたい推定を記す。「その赤い破片(ミサイルの痕跡)を消すこと、それを最優先にして人命救助は後回しにした。遺体の状況から推定すると、その際、現場を破壊して何らかの証拠を消すためにゲル状燃料の武器を使用したのではないだろうか」(同上、190頁)(以下次回)。
コメントを残す