2024年10月04,08,11日

10月4日・金曜日。曇り後晴れ。過日の朝日新聞(夕、10/3)に「東京湾 南国色の危機」に添えて、奄美では珊瑚の白化の進行が報じられた。地球規模での温暖化は、今や容赦なく、その警鐘を人類は十分以上に聞かされているが、世界の取り組みは停滞している。この度の自民党総裁選では9人もの候補者が出ながら、その危機にふれた候補が一人もいなかったのはどういうことか。お歴々に伺いたい。今後さらに悪化する環境下にあって、どのようにして国民の生命、財産は保全されると言うのだろう。経済政策ばかりでは、視界があまりに狭すぎはしないか。

10月8日・火曜日。雨。昨日、不順な天候と日頃の不摂生が祟り、夕刻までごろ寝で過ごす。とにかく起きてはいられぬ疲労であった。

10月11日・金曜日。ニューヨークタイムズ(10/8)に「アマゾン川、枯渇」の記事を読む。広大な熱帯雨林を抱え、地球の呼吸機能を担う「世界の肺」とも称する、世界最大の河流地帯に危機が迫る。温暖化と乱伐が流域全体の旱魃を惹起し、河川水位の低下が船舶航行を妨げ、浚渫を余儀なくするが、それがさらに流域の破壊を来す。100年とは言わず、50年後の地球環境はどうなるのだろう。

承前。さかのぼって、事故機の墜落(19時前後)は、すでに20分後には米軍輸送機によって認知されている。それを受けて、厚木基地から米海兵隊の救援ヘリが現場に急行し、隊員がロープで降下しようとしていたところ(21時前後)、在日米軍司令部から、「日本側が現在現場に向かっているので帰還せよ」との命令を受け、そのまま帰還したと言われている(「疑惑のはじまり」297頁)。だが、日本側の救援ヘリはついに来なかった。しかもその時点では、まだ何人かの生存者がいたのである。そのことは、救出された4人の生存者のうちの一人であり、たまたま乗客として乗っていた日航アシスタントパーサーの落合由美氏が、後に「自分の周りでは数人の子供たちの声が聞こえたがそのうち聞こえなくなった」と証言していることからも間違いない。

救える命があった。だが、見殺しにされた。痛ましい話である。その時刻、現場は漆黒の闇であったろう。だが、米軍ヘリは隊員を下ろそうとしたのである。軍であれば、そんなことは造作もなかったはずだ。その後、現場上空では何機かのヘリが、一晩中探照灯を照らして舞っていた。著者はこれを自衛隊機だと推定している。そしてそれは、間違いではなかった。翌日からの自衛隊の活動は積極的であったからだ。

だが、何故こんなことが起こったのだろう。NHKの報道は、かなりの視聴者からきちんとした情報を受けながら、事故現場の特定では相変わらず迷走し続け、まるで地元救援隊の接近を妨害し、それによって何かの時間稼ぎをはかっているかのようであった。

何のための時間稼ぎか。膨大な資料に裏図けられた、著者の粘り強い推論を省略し、結論だけを言えばこうなる(当方、こんな風に結論を急ぐことは、良くないと承知はしているのだが)。墜落機は、当時、自衛隊が開発していた誘導ミサイル(炸薬非搭載)の実験のため、仮想標的とされ、それが相模湾上空で命中し、尾翼付近を破壊したのでは、との疑念が浮かぶ。ここにはこれだけではない、入り組んだ事情が絡む。というのは、事故機の機長が自衛隊の出身者であったからだ。そうであれば、何らかのトラブルになっても、事情を察し、自衛隊に迷惑のかからないような対応も出来よう。さらに言えば、機長は標的機になりうることを、何らかの形で伝えられていたかもしれないのだ。 以上は一つの推定であり、可能性の話でしかない。しかし、残された資料、周辺の状況から推して、これは唐突な作り話ではない。とすれば、これは単なる事故どころではない。事故機は国家防衛に関わる、誘導ミサイル開発という国家プロジェクトの実験機として選ばれたのである(以下次回)。


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