2024年07月17日

7月17日・水曜日。晴れ。今週日曜日、米国共和党大統領候補者、トランプ氏、演説中に狙撃、なるトップニュースが世界を震撼させた。凶弾は僅かにそれて、氏の右耳朶を裂いたが、大事には至らず、文字通り九死に一生を得た。ただ、背後の聴衆に死者、重傷者が出たという。これをどう表現すべきか、言葉を失う。現在、世界中が戦争と騒乱にまみれ、第3次世界大戦の予兆と共に、自然界の人類への復讐がこれに重なり、ヨハネの黙示録的な終末観が世界を覆う。人類は今後何十年か、この苦しみを生き続けなければならないのか。

先週の土曜日、筆者は社会環境学会主催の2024年度研究大会(明治大学)にて「吸引する大都市―地方再生の道を探る―」と題する報告を行った。実は、昨年も同題の報告をさせて頂いたが、時間切れで、「地方再生の道を探る」までに至らず、いかにも消化不良のていであった。今回、たまたま報告者の名乗りもなく、事務局からの打診を受け、引き受けたのだが、お蔭で年来の思索に区切りをつけることができた。記して、謝意を表する。以下は、当日のレジメである。なお、中断した平家物語は次回から再開したいる。

2024年7月13日・土曜日 於・明治大学

                                

 金子光男

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い…中島敦 山月記より

吸引する大都市—地方再生の道を探る—

  • 前回の要約から

1:都市はどこから来たか。柳田国男によれば、我が国の都市は「農民の従兄弟によって作られた」のであり、しかも都市の存続は「領主の城下町ですら有為転変の定めなきもの」であり、その消滅の危機には常に農村からの人口流入によって支えられた。こうして、彼は都市の出自を農村(ここではこれを「地方」と読み替えたい)だと明言するのである(「都市と農村」・昭和4)。 

 しかもその支えようは尋常ではない。まず都市を成り立たせる第一の要因である「人口」数は、まるで「滝壺」を目掛けるようにして都市の「四方から流れ込む者」たちによって継続的に維持される。それ以外にも都市が吸引するのは、膨大な量の水・食料、各種自然資源、エネルギー等々であり、こうして都市機能は漸く維持される。このことを柳田は、都市はその外側にある、農村からの「富」を持ち込むことによって成り立つと言ったのである。この限り、都市とは構造的に自己再生の難しい「消費都市」であり、とすれば農村の富が限度をこえて都市に引き寄せられれば、まずは農村の疲弊が、次いで都市の衰退は必然となろう。

 以上のような観点から、現在の東京を中心とした大都市圏と列島全体の地方圏との関係を見るとき、後者の衰退の様相がいよいよ明瞭になってくる。ことに両者の人口数とその構成比をみれば、『地方消滅』(増田寛也編,中公新書2014)が取りざたされるほどであり、このまま事態を放置すれば、国土の保全、そして国民生活にも深刻な結果をもたらすことになるであろう。近年頻発する各地方の自然災害による復興の遅延の問題はその最たる事例の一つである。ここには老朽化した各地のインフラ施設の維持、更新に要する財政問題も含まれる。多くの自治体は、人口減少によって過大となった上下水道施設の維持管理の経費に耐え切れず、このままでは、それだけで財政破綻に追い込まれると危惧されている。

 

上にふれた農村から都市に持ちだされる富について:まずⅰ.ヒト。特に青年層の男女であり、地方の急速な高齢化と出生率の低下を来す。地方財政の疲弊による行政サービスの低下。それがどの程度のものになりうるかを、ここでは夕張市を取り上げた。ⅱ.モノ。都市建設の「骨材」である砂について。これについては、君津市の事例から消滅する山の問題を見た。それ以上に今後は、温暖化による水資源の確保とそれにまつわる自然環境問題がより深刻になるであろう。さらに急激な都市開発は建設廃材その他のごみの不法処理のために近隣地域が利用される。

2:先に都市圏は地方からの多様な素材の提供を得て成り立ち、その意味で「消費都市」だと言った。だがそれは、勿論、自らは何も生まない都市の非生産性を言うのではない。事態はその反対である。ちなみに、この資料はどうか。3大都市圏と言われる東京圏、大阪圏、名古屋圏は、「国土面積では1割強に過ぎないが、人口・総生産の約5割を、金融や国際などの産業諸機能の7~8割を占めている」(2018)(内閣府国民経済計算より)。であれば、残る9割の地方経済社会の惨状は推して知るべしであろう。

 そこでは巨大な行政官庁、大企業の本社、大学・研究機関、金融・証券市場が密集し、巨富が生み出されるが、それを支えるのが地方からの人材を含めた多様な物質的な提供であると言いたいのである。しかもそれらは、そうした大都市圏ではまず、再生産されない。すべてを吸引し、地方に戻さない。ならばその根源である地方の困窮は、つまるところ都市圏の疲弊を帰結するのではないか。

 こうした事態を、朝日新聞(7/5)はこの度の都知事選の絡みで「東京というブラックホール」、「若者引き寄せる力 国は人口減」と呼び、これに対する小池、蓮舫両氏の見解にふれているが、ここでは現職の言う、東京の「一極集中だけを問題にしていると、パイを切り刻むだけで、国力を失う」との言葉が、地方疲弊に対する無理解をさらした。つまり氏は東京を他都市並みに引き下げれば、日本は衰退すると言いたいのだろう。要するに、彼女は都市と農村との関係について考えたこともないと言わざるを得ない。彼女にとって、東京の発展(原因)によって地方は成長(結果)するとみており、ここでは原因と結果を取り違えているのである。それがそうなっていないことは、この何十年来にわたって疲弊する地方の現状から明らかではないか。

 以上はまた、一種のトリクルダウンの考え方を想起させる。頂点のグラスにシャンパンが注がれ続ければ、いずれ最下段のグラスも満たされる。だが結果は逆で、米国での格差は開くばかりか、我が国でもそうした傾向がみられることは、今更言うまでも無かろう。

 さらに東京への一極集中は各種の安全保障上の深刻な問題を抱えざるを得ない。ことに、関東大震災級の直下型地震、集中豪雨等の自然災害などによる首都機能消滅は、現在益々考慮すべき喫緊の課題となっている。

3;地方再生の試み―「離島」の取り組みから(Small islands,big lessons ,in: The Japan Times May 27,2023)

まず、我が国に帰属する島嶼数(大きな島、小さな島)は、約14000島であり、その内人の住する島数は10人以下を含めてほぼ400という。これらの島嶼に共通した社会経済的な特徴は、離島ゆえの孤立的な生活、それに基づく独自の生活習慣と文化的伝統を持ち、生活物資は自己調達的でありながら、近隣諸島との関係は欠かせない。かくて持続的な生活が維持される。だが、ごく少数の人口移動によっても、その島の社会経済状況は激甚の影響を蒙り、ことに高齢化率等の変化と結果はきわめて明瞭に見て取れる。それは同時により大きな市町村の今後の趨勢を予見し、今後の対策を考えるよすがを与える。であれば、島嶼は日本社会の縮図と言ってもよく、ここには「大きな学び」の可能性がある。それが島嶼研究の意義である。

 多くの島嶼での生活が乱され始めたのは、1950年代以降の高度経済成長期以降のことらしい。島民の離島が人口減少と高齢化を急伸させ、無人島と化した島も多かった。だが、全ての島が無人化したわけではない。例えば、伊豆諸島の一つである利島では、300人が生活し、その数はこの半世紀変わっていない。なんと縄文の時代より人が住み、現在の産業は本邦一の品質を誇る椿油のほか漁業に恵まれる。それだけに、連綿と続く歴史と文化を持ち、生活習慣や価値観を大事にしながら、しかし他方で島外世界との交流を保ち、その文物を積極的に取り入れ、決して自らの世界に閉塞しない。このことが島民生活の維持と更新を可能にさせたと、記事は伝える。

 都会から瀬戸内海のある島に移住した、女性ジャーナリストは島内での生活によってはじめて豊かさの意味を知った。都会のコンビニでは飲料水のペットボトルだけでも、種類や量が異常だが、これが真の豊かさなのだろうか。島では、目覚めれば青々とした海、竹林の緑が身を包み、必要な物は過不足なく得られ、なければ隣人たちから届けられる。これぞ、友人の言う「宝の島」の意味であったかと、彼女は得心させられたのである。

地方再生の手掛かりは、ここに十分見て取れるのではないか。どの地域、地方でも自らの価値、伝統、誇りを持たないところはない。都会生活では求めても得られないそうした「地域の宝」を掘り起こし、それを育て上げることだ。他の地域から人々を呼び込もうとする以前に、その住民自身が住みやすく、この後もまた住み続けていきたいと思える場を育て上げることだと思う。そのことはすでに元金沢市長・山出 保氏の指摘されたことである(『まちづくり都市 金沢』岩波新書2018)。但し、それらが可能になるためには、政治、経済、行政の大きな取り組みが欠かせない。これがあって初めて、改革のための枠組みが整えられるからである(以下は、前回のレジメ(‘23 7/8・土)末尾の「4.地方再生の道はあるのか:メモを記して、あとは今後に」続く)。


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