2024年06月14,17日

6月14日・金曜日。晴れ。30℃に及ぶ夏日。熱暑の日々がいよいよ始まる。これに煽られて、都知事戦もまた熱戦になるのか。是非、都市の明日を開く建設的な政策論争を望む。国政では、例の政治資金規正法改正の審議が参院に移る。これまで自民は、その後の補選や知事選での連敗により、公明、維新の提案を呑み込み、小出しにしていた改正案を大分修正したようだが、まだ目的には程遠い。ただ、自民は分かった。国民は怒っている。このままではマズイ。ならば、今度は国民が選挙でその意志をハッキリ示すことだ。改革のボールは、いま国民が握っている。

6月17日・月曜日。曇り。蒸し暑い。最近の世論調査によれば、自公より政権交代の数値が上回ったらしい。昼のニュースにそうあった。自公政権、危うし。

この人物については、『徒然草』(1331年頃)226段に、信濃前司行長(藤原行長)に触れて、「此の行長入道、平家の物語を作りて生仏(しょうぶつ)といひける盲目に教えて、語らせけり。」との一文があり、これをもって作者とされることもあるらしい。だが、兼好はそう言うばかりで、資料も論拠も示しておらず、また『治承物語』から数えて百年後の言であれば、これをそのまま信ずる訳にはいかない(「解説」801頁)。さらには、彼以外にも何人かの名前が取りざたされ、要するに、上にも言ったように、作者はうっすらと推測されるばかりであり、さらには『治承』から『平家物語』への転成の過程で、夥しい法師の語りと共に新たな話も加わったとすれば、そこには「多くの作者」がいたと言ったほうがよさそうである。そう理解すれば、無残の死を遂げ、成仏できないまま宙に舞った多くの武者たちの霊が、一人一人の法師に取りついて、その無念を語らせ、こうしていつしか『物語』としての成立を見たのだ、と言ってみたくなる。

かかる我が勝手な解釈はともあれ、『物語』を通読して思うことは、歴史的事件の由来と経過を、物語的な虚構と共に、克明に記し、それゆえ後世に対して歴史教育の意味を担った。こうして平家の栄華盛衰が、盲目の法師による見事な韻律的な語りによって、眼前に繰り広げられるのである。ある時は琵琶の音に載せられ、また独特の語りと詠唱が折り重なり、突如、転変して鏑矢の響きと軍馬の突進、大軍同士の喊声が沸き起こる。これを聴く者はいまや固唾をのみ、映像を眼前に見、彼らの喜び、苦悩や苦痛を己が身内に直接感じながら、物語と人々と一体となってのたうつのであろう。こうした臨場感は、琵琶を奏でる盲人法師だからこそである。往時、彼らこそ霊界を訪い、亡霊たちを現世に呼び寄せる霊能者であり、そうした霊界の存在は疑いようもなかったからである。小泉八雲の『耳なし芳一』の世界は、かくて現出されたのであろう(以下次回)。


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