2022年05月09,13日

5月9日・月曜日。曇りのち雨。

5月13日・金曜日。雨。前回を大幅に書き換えた。

 

今回は、急遽、本筋から外れて、前回の馬渕氏の発言を筆者なりにケリをつけておきたい。同氏の「ロシア軍が掌握していた間、暴力行為に遭った(ウクライナの)住民は一人もいない」との発言は、いかにも異常であり、これをこのまま放置するには問題がありすぎると思うからである。これについては、とりあえず2点を言いたい。その1は,失礼ながら、氏はすべてを承知の上で、虚言を弄しているのだと仮定してみる場合である。とすれば、筆者はそれによって、氏は何か利益が得られるからではないか、といった程度には理解できる。そして、事の良し悪しはともあれ、同氏の行動はそれなりに納得できる。

これに対して、その2は、彼が真心から、真剣にこれを主張しているとすれが、どうか。この場合、筆者は途方に暮れる他はない。彼をどう考え、いかに理解し、対応すべきか、といった筋道が絶たれて、彼に対して宙吊りにされるからである。なんと言っても、氏は外交官で、防大教授を歴任された方である。であれば、この件について我われ以上の情報量を持ち、それを咀嚼しうる知性も、十分お持ちであろう。その彼が、ウクライナの惨状とその経過に関する膨大な量の映像と情報を目の当たりにしながら、それはウクライナ軍、警察、当局の仕業だと、堂々と断言するのである。

ロシア軍の侵攻の原因は、ロシアの安全保障上の問題によるとか、その他種々言われるにしろ、この度のウクライナの惨劇はロシア軍によるものであることは、国連決議に見るように、世界が認めており、ロシアの盟友・中国ですらこれを正面切って否定できないのが現実である。またわが国では、プーチンと4回会談してその人柄にほだされたのか、彼を「人情家」だと称賛して止まない、あの鈴木宗男参議院議員も、ロシアによる今回の侵攻は認められないと指弾しているのである(『アエラ』′22・3/14)。

こうした事実を並べてみると、馬渕氏の発言は、ロシア軍の侵攻によるウクライナ市民への惨劇そのものを、明確に否定している点できわめて特異であり、何か常軌を逸しているように見える。その点で、筆者は何か言いようのない不気味さを覚える。

馬渕氏がなぜこのような主張をするのかは、それが意図的な嘘ではなく、むしろ真剣なものとすれば、筆者には全く不明であるが、ここでは一つ、こんなことが思いつく。もしかしたら、我われ人間の認識には、ただ単に頭の良しあし、さらには偏りのない情報をいくら手にしても、それらとは関係のない、それ以上のなにか別の要因が作用しているのではないか、と。

思うにそれは、自分の見たい、聞きたい情報のみを受け入れるという、偏向のようなものであろうか。情報機器の進歩とネット社会の到来により、我われは今や誰でも公平で幅広い情報をいつでも手に入れられるようになった。それにも関わらず、あるいはそれであるが故に、偏った情報で満足でき、批判的で不都合な情報は排除して、自分たちにとって快適な情報網の圏内で完結してしまうという、何とも皮肉な現象に直面しているのであろう。さらには、そうした集団が膨大な支持者を獲得すれば、政治力を持ち、政党を支配し、やがては国家の政策や経済をも決定するという、そうした社会を出現させる。というよりも、我われはそのような社会を、米国のトランプ氏の出現とその陣営の席巻という形で、目の当たりにしているのではないか。そこでは、誤解の余地のない、明々白々の事実を、あっさりとフェイクだと切り捨て、自分たちにとって都合の良い現象のみを事実として押し広げ、それを真実として押し通してしまう力さえある。これは実に危険な社会ではないか。それはまた、プーチンの支配している社会とどう違うのであろう。

これは文明の発展が、より一層野蛮で、凶暴な社会を生んでいる一例である(以下次回)。


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