6月9日・水曜日。晴れ。2,3日前、暑さ対策上(と言って、そんな大げさなことではないが)、長めの上下の下着をやめ、恐々、夏用にかえた。電車や建物内の冷房が堪えたからである。非常に、快適。だが、ヨレヨレの長袖ワイシャツ、ヨレヨレのパンツ、夏用ジャケットは離せない。このファッションでも、着てが良いから、十分、観賞に堪えうる。ただ、年寄りは温度に鈍感になるとは、「看取り先生」・岡部医師の言であったが、それは本当である。
6月11日・金曜日。晴れ。
承前。そもそも都市は、ここでも度々述べてきたが、周辺地域から住民を吸い上げることで、人口を維持し、増大させてきた。これを筆者は都市のサイフォン化と言ったが、反面「人口調節装置としての都市」と見ることも出来よう。周辺地域の余剰人口を吸収する機能であるが、都市自体は自ら自己増殖するどころか、その再生産能力も低いのではないか。とすれば、後背地の出生数が高く、豊かな人口を抱えている限り、人口は維持されるであろう。しかし、後背地からの人口供給力が衰えれば、まずは地方の、次いで都市の人口減が続き、かくて一国全体の減少を免れないであろう。これが、「蟻地獄」とも言われかねない、都市の持つ人口調節機能の一側面である(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』186頁以下参照。講談社学術文庫・2017)。
20世紀初頭から現在に至る、わが国の人口変動の推移は、ごく大雑把に見ればこうなる。まず、工業化の進展により、農山漁村地域から都市圏への人口移動を生み、地方人口の減少は留め難いものとなる。他方、都市周辺の環境・医療整備は乳児を含む各種の死亡率の劇的な減少をもたらした。また、第二次世界大戦後のベビーブーム後の出生率は一貫して低下し、ここに少子高齢化の人口構造が定着していく。
これによって家族構成はどう変わったか。大規模家族の消滅と核家族を主体とする家族世帯の縮小であり、さらには若者ばかりか老人の単独世帯の増進が無視しえない状況になって来た。ちなみに2019年時点の普通世帯の平均規模は2.39人である(1920年では4.89人であり100年間で半減しているという)。こうした現象の背後にある生活スタイル、結婚観や家族観の変貌とその意味合い等については、鬼頭前掲書に譲るが、ここでは次の一文を引用しておきたい。「ヨーロッパでも日本でも、長期的な出生率の低下は生活が貧しくなったから起きたのではないことは確実である。反対に生活水準は大きく上昇しているのである。豊かさこそ、出生率低下の引き金であったといえなくもない」(261頁)。恐らくこの事は、中国は勿論、途上国の今後についても当てはまる事では無いのか(以下次回)。
コメントを残す