4月21日・水曜日。晴れ。今年初の夏日と聞いた。いかにも早く、異常である。温暖化の危機いよいよ募る。なお、3月の総歩数・288,024歩、1日平均歩数・9,291歩、最高・14,862歩、最低・5,054歩であった。
4月23日・金曜日。晴れ。
それにしても、今回は全5話にわたる長い脱線であった。そもそも本欄の主題は、「社会のたたみ方」という論題を通して、人口減少に困惑するわが社会における大都市圏の止めどない拡大と、それに真逆なような地方社会の疲弊に対して、いかなる処方箋があり得るかを探ろうとすることにある。だが、その問題と今回の脱線とはいかにもかけ離れている。
それは認める。だがそれにも関わらず、この5話は、筆者としては、やや満足のいくものであった。むしろ、何処かで、そうした話をしなければならない主題であった。その意味で、これは必要な寄り道であった。と言うのも、まずは筆者を含めて、人々が、己を越えた存在を予感し、それを恐れるならば、ただ欲望のまま振る舞うのではなく、何がしか抑制的な行動を課されるだろう。それはまた、生命への畏怖と共に、これを育む大自然への畏敬から、その闇雲な破壊を阻止するに違いないと期待したいからである。
そのような人間観は、かつては豊かにあったが、現在はほとんど消滅してしまった。人間を越えた存在は、科学に取って代わられた。科学は全てを明らかにし、それに支えられた技術が、人間に必要な一切合切を生みだせると信ずる時代をうみだした。それが現代である。人間は科学を発展させ、それを思うがまま操ることが出来、実際、何事も恐れずに行使してきた。こうして、人間には何の制限や規制も無い時代が誕生した。
その結果はどうか。人類は今や、地球を何十回も破壊しつくせると言われる原子力他の大量破壊兵器を所有し、地球温暖化を来たし、歯止めなき経済開発に邁進してきた。そうして、我われは、現在、それらが生み出す巨大な反動、地球からの反撃に途方に暮れているのではないか。過日、米国大統領が気候変動サミットを呼びかけ、中国もそれに参加する姿勢を見せたのも、事態の容易ならぬ状況を示すものであろう。
これらの事柄をざっと見るにつけても、人間が主人になった地球世界の浅薄さを思う他はない。と言って、安易に神を呼び出し、デウスエクスマキナ(ギリシャ神話に馴染みの、困難を一気に解決する神・超自然的諸力)に縋ることは出来ない。また、布教と教団の拡大に狂奔する既成宗教に与したくもない。しかし、先の5話に見たような世界に触れることにより、そうした世界に思いを寄せ、我われを越えた何かある存在を予感することには、前述したように意味深いものがあるのではないかと筆者は思う。
こうして我々は己れ自信を見直し、改まるという前提がなければ、我われの世界はこのまま続き、地球自体の存続が危うくされかねない。そうなれば、地球上の人間社会の改良も何もあったものでは無いはずだ。これと関連して、かつてヘルマン・ヘッセが持ったという思想をここに想起しておきた。マルクス主義的な社会制度の改革よりも、まずは人間の内的世界の改革こそ目指すべきで、それゆえ自分は文學の世界に身をおくのだ(もっともこれは、わが学生時代に読んだヘッセの何かの一文であり、典拠も不明なら、文章は全く思い出せない、わがうろ覚え過ぎないことを白状しておく)(以下次回)。
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