2019年2月1日

2月1日・金曜日。晴れ。二十四節気では立春の頃だが、陰暦では大寒である。まだ寒波に堪えねばならぬ。本日より本論に戻る。

 

本論を起こした筆者の思いは、時たま訪ね、またテレビの映すあちこちの地方都市は一様に衰退し、しかも近年その度を増して、なにか痛ましいまでの惨状を呈していることに言いようのない淋しさを覚えたことに発する。このまま放置すれば、我々は何か取り返しのつかない結果に追い込まれるのではないか、と言う危機感にも駆られた。かつては多様であった街の景観は均一化され、中心街ですら賑わいを失ったどころか、寂れ果て、街全体がこれに抗する術も無いまま、諦めきってしまったかのように見える。こうして生活の衰退とそこに根ざす文化の消滅を突き付けられている、そんな焦燥を免れなかった。

こんな印象記はいつからのものであろうか。随分以前からのような気もするが、しかし近年それは急速に強まった。地方の衰退は産業構造の変遷と無縁ではない。一次、二次産業を中心とした社会では、人々の生活は農林・水産業、鉱工業に繋ぎ留められ、地方居住型となるが、様々な機械化により、生産性を増しながら、多くの農業人口は過剰となる。他方で、三次産業の発展により、地方生活から解放され、あるいは農地を持たない多くの人々は都市で急成長する、住宅・交通・治安・病院・各種インフラ整備、金融・証券はじめ無限に多様な事務業務や娯楽を含めたサービス業に吸収される。

確かににそれらはいずれも、一方で辛く切ない刻苦の労働からの解放であり、見栄えの良く、名声と共に一獲千金も夢ではない憧れの職務であったろう。だがそれらの業務に就くためには、これまでとはまるで異なる、別種の知識、技能を身に付けなければならない。かくて、長期に及ぶ、しかもカネのかかる学校生活の始まりでもある。特に高等教育機関は知識や技術の集積を前提とし、取り分けそうした知識や技術を需要する若者が集住する都市圏の施設である他はない。さらには、これら諸機関、施設を統合し、管理する機関である議会、各省庁と言った政府機関もまた都市のものであり、ここには諸外国の機関も付加される。こうして都市はこれからの生活を拓こうとする若者にとって、刺激と魅力に満ちた磁場になった(以下次回)。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です