2018年1月11日

2018年1月11日・木曜日。晴れ。やっと仕事始め。五年目の仕切りとしては、誠に悠長、と言うよりシマリのないことで、こんなことで本年を乗り切れるものやら、甚だ心許ない限りながら、先ずは本年もよろしくお願いしますと、ご挨拶させていただく。

今日から、「社会のたたみ方」なる主題で、論文のようなものを書いてみようとは、昨年末に予告し、その意気込みは賀状にも記したことであり、今更止めましたとは、チト言いにくい。とは言え、次なる駄句を添えて、それとなく逃げ道を用意したのではあるが…。

寒風に鉄の駿馬ははや駑馬に  みつを。

私には、自転車を矢のように疾駆させたかつての面影はもはや失せ、今や駑馬のごとし。よって、こんな大それた試みはいつ放棄しても責任は取りません。そんな心算で、以下お付き合いのほどを。これだけのことを申し上げ、仕度を整え、覚悟を固めて、いざ舞台に。

社会のたたみ方

(1)はじめに

これからの進め方

手元には、すでに出来上がった原稿があるという訳ではない。これまで読んだ文献、資料をもとに考えを纏めつつ、それを文章化し、その過程で新たに浮上して来た問題について検討し、本文に接合する。そんなやり方で論を進めていこうと思う。その方向がどこに向かい、どれ程の深みを持ち、最後にいかなる形になるか、私自身にも皆目分からない。

そしてこれは私にとって初めての試みであり、恐らく無責任の誹りは免れ難いが、しかしこれだけは言える。以下の思索、文章は、私と読者とが共に考え、苦闘し、練り上げようとするものである。とすれば、もはや私一人がではなく、読者と筆者が共々に一体となり、一つの思考が形作られる過程を見届けることになる。であれば、以下において異論や抜け落ちた論点、あるいは別の着想、その他ふれるべき論文等があれば、是非ご指摘頂き、また議論にも参加されたい。

こうは言っても、「社会のたたみ方」ということで何を言おうとするのか、この点について一言しておかなければ、あまりに漠然としすぎて、議論に入り様もない。そこで、ここではとりあえずの考え方だけでも示しておきたい。「とりあえず」とは、論の進むに従い、この論題の意味がより明瞭になる事を期待したいからである。

先ず、ここで言う「社会」とは地域社会、地方社会を言い、また大都会の中のストンと抜け落ちた地区を含みたい。「たたみ方」とは、そうした社会、地域を無理なく接合し、コンパクト化して、その活性化を図り、そこに住み、暮らす住民が喜びと生きがいの持てる町造りを目指す、そのような一つの政策提言であろうとするものである。

ここでの発想の基底には、経済発展をベースにして人口増を目指すという成長主義からの決別がある。わが国の現状は、そうした楽観をもはや許さない。そんな時代はもはや去った。それは様々なデータから明らかであろうと考えるからだ。これがここでの時代認識である。以下の論議は、そうした現状および時代の認識を、既に刊行されている幾つかの文献を通して確認することから始めたい。そうした作業を重ねることで、本論文の骨格が組み上がるはずであり、その時点で一応の目次も提示されるであろう(以上の文章は開示されるが、後に大幅に改められることを許されたい。以後も同じ)。


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