2017年3月22日

3月22日・水曜日。晴天。昨日、靖国神社にて、気象庁職員による開花宣言あり。

前回、「まだ、言うべきことは尽きないが」とモッタイを付けながら、ソルジェニーツィン考を終了しようと思ったが(実はこの主題に飽きてきたせいもあった)、行方知れずの一貫性の欠如こそ、この『手紙』の唯一の取柄と思い直して、今月中はこの主題に関わる事にした。

そこで、「言うべき事」の一つは、収容所群島の呆れるほどの肥大化である。著者は「群島」を癌腫に例えて、ロシア全土に蔓延していくその繁殖の在り様とその原動力を抉り出した。その記述は執拗であり、容赦がない。収容所が建設されるや、周辺の生活、風俗、文化はたちまち破壊され、しかもそれは近隣都市から果てはモスクワにまで逆流し、要するにロシア全土に害悪が及ぶのである。収容所の常軌を逸した仕組みと生活がその原因である。

先ず、群島内の住民は政治犯と雑多な刑事犯からなり、後者は殺人、強姦、泥棒などあらゆる犯罪者たちである。処遇は彼らにはるかに寛大であり、所内の食事、衛生、清掃と言った楽な仕事に就き、酷寒の外の仕事に回されても班長、監督と言った役回りである。所内の生活で最も重要な食事と睡眠、その場所も格段の差があった。しかも彼らは団結し政治犯の私有物やカツカツの食事まで劫略する始末である。収容所の所長、監督者、護衛兵らは彼らの傍若ぶりを黙認、あるいはこれを積極的に政治犯の監督に利用した。彼らの刑期の短さについてはすでに見た。

つまりここでは、悪が善となり、価値基準の崩壊が生じ、ならず者の生活が王道となる。そんな彼らは刑期後、各収容所周辺に住み着き、彼らの生活ぶりが市域に浸潤し、やがてはロシア全土に拡散されるという訳である。それが及ぼす道徳的な退廃、破壊はどんなものであろう。

では、収容所の維持と拡大はどうであったか。スターリン時代にその隆盛を極めたが、おりしもその時期、ヨーロッパの政治状況は急を告げ、さらにヒトラーとの戦争に突入して以来、軍人たるもの、ヨーロッパ戦線への投入は不可避となった。しかし、収容所の建設、維持発展に従事する軍人たちはその運命から免れられる。何故なら、政治犯の放置と跋扈は、ソヴィエト連邦の崩壊を招来しかねないからだ。ならば、ヒトラーへの勝利が至上命令であると同様、収容所の維持・発展もまた欠くべからざる命題であるだろう。かくて、これに従事する将校・軍人、官僚、秘密警察といった膨大な量の人間どもが人知を凝らして収容所の必要性やらその成果を喧伝し、組織の充実、その拡大に邁進していくことになる。一つの組織が成立すると、組織の論理と利害に突き動かされ、その使命が尽きて、もはや存立の理由(raison d‘etre)が消滅しても、なお維持しようとする力が働く。このことが、第二次対戦以降まで「群島」が生き続けた理由である。わが国の「原発村」がこうした指弾を浴びるような存在でないことを、ただ願う。

これとの関連で第二に言っておきたい。収容所の当初の目的についてである。社会主義国では資本主義国とは異なり、非人間的な搾取、格差それに発する犯罪者はイナイ。こんな建て前がまことしやかに語られていたようである。このような言い草を、本書によって私は初めて知った。それゆえ、ここでの収容所は犯罪者を収監する監獄ではない。ここは「矯正労働収容所」であり、労働を通して社会主義国に相応しい市民に生まれ変わるための施設である。

では、その目的は果たされたのか。結論は、全くの否である。さきにふれた運河建設は機械力ほか全ての必要条件を欠いた、ただ人力による短期の突貫工事のため、水深は浅く、鋼鉄船は航行できず、その後完全に造り直されねばならぬ代物であった。他の作業についても同断である。駆り出された人々は監督者の居ないところではひたすらサボタージュし、重労働を押し付け、あるいは成果の捏造に走った。奴隷労働が非生産的であることは、ローマの時代から証明済みのことである。それかあらぬか、著者はしばしばロマノフ王朝時代の農奴と比較し、こちらの方がはるかに人道的であったとさえ言うのである。

そして、私にとって印象的であるのは、ドストエフスキーの『死の家の記録』(1862)との比較である。ここに描かれた世界は決して愉快なものではないが、ソルジェニーツィンに比すれば、はるかにユーモアに富み、ゆとりが在り、人間的である。ドストはベッドにあって、周囲の囚人たちの振る舞い、生活を隈なく観察し、それを卓抜な文章に留める自由があった。彼は囚人と共に散歩にも出かけることが出来た。また、ソルジェニーツィンは帝政期の政治犯に対する処遇について、レーニン、スターリンを挙げて言っている。彼らはかなり自由な生活と月々所定の年金を受けていた。レーニンはそれで生活し、必要な書物を買うことが出来たようである。ヴィンデルバンドは言っていた。人間の進歩は、技術上の蓄積できる分野では可能であっても、資質、能力といった領域では難しい。進歩は制度や規則の改革によってなされる。その規制力によって人々の振る舞いは正され、社会は進歩する、と。しかし、それはどうも怪しい。社会規範の改良なら、先に述べたように、スターリンは申し分が無かったはずだ。だが、彼の場合、完全に逆行していることは明らかだからである(以下、次回)。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です