2016年6月2日

6月2日・木曜。水無月に入るも、快晴。尚、本日の手紙は、百通目になる由。何事につけ三日坊主の私としては、祝杯ものの慶事である。

だからと言って、今日の「手紙」が突如高尚になれる訳でもなく、そんな期待をもたれる懸念はまるで無いものの、先ずはご承知あれ。

さて、ギリシャ悲劇だが、私はここでこれを論ずるつもりはない。などと、体裁の良いことを言ってはいけない。そもそも、ソンナ知識は全く無いのだ。この『全集』を買ったのも、40年ほど前に、池袋の、たまたま覗いたどこかの古本屋でのことであったらしい。今回、裏表紙に張られた栞からそれと知った。ただ、これを買い求めた気持ちは、ウッスラと記憶している(読者諸氏よ。寄贈本はともかく、自ら買い求めた本は、いつか読もうという意図があり、時がめぐり、関心が戻れば、やがて読まれることが多い。ユメ、破棄されてはならぬ)。

その頃か、それ以前かは定かでないが、内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書)を読み、強い感銘を受けた。その詳細はスッカリ忘れてしまったが、ギリシャ哲学からマキアヴェリ、ホッブス、ロック、ルソウ、ヒューム、スミスといった社会思想史上の巨星達の認識の系譜とその歩みが平易に、だが深く語り尽くされていた。その読後感はいまも忘れてはいない。私のこの方面の知識と理解は、本書に拠っているのかもしれないほどである。

本書の始めの辺りであろう(本来なら、確認すべきだが、ゴメン)、人生観についてのギリシャ的思惟からマキアヴェリにいたる変遷の叙述が、私には鮮烈であった。前者では、人の生は宿命論的に決定されたものであったのが、後者ではそれは人の意思のもとにおかれ、変更され、開拓しうるものとなった。君主とはそのような力を持つ人のことである。それゆえ、人生を宿命から解放し自ら確立しうる人はいまだ特別な力を有する者に限られていたが、ホッブス以降の近代になるにつれ、人間は平等化、均等化され(そこには神の前では人は皆平等であるとする、ルッターの宗教観も決定的な役割をもったのだが)、社会とは、そうした平等で互いに独立した人々の間の契約に基づいて形成されたと解されるにいたる。

その後のヒューム、スミスの話はここでは措こう。それはそれで、別の物語を語らなければならない。ここでの関心は先のギリシャの人生観である。私は内田先生の叙述に引かれて、それが如何なるものであるかについて、いつかみてみたいという思いがあった。またある時、ニーチェの学問論の中に、ギリシャ人にとって、事象は決定論的に決定済みの事であるために、せめて物語の内に波乱万丈を求めたとの叙述をみた。それが、現代では事象は予測不能と化し、安定と確実性をえるために、学問のうちに法則性を探求するにいたる。ヴェーバーが現代の生を、「倦み疲れることがあっても、飽きる事はない」と言ったのも、この線上でのことであろう。我々と往時のギリシャ人との人生観の懸隔はかくの通りである。

さて、彼らの思惟が宿命論的であることは、ソフォクレス『オディプス王』を一読するに如くはなかろう。この悲劇はフロイトの「エディプス・コンプレクス」論と結び合わされ、最も人に知られた話である(以下、次回)。


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