2015年12月4日

12月4日・金曜日。晴れ。 早や師走これを口にし幾年か。みつお。

 この問題を考えるに、やや唐突であるが、わが国最大の医学史家、川喜多愛郎の言葉に依ってみたい。氏によれば「医学は不完全な学問である」(『医学史と数学史の対話』より)。その意味は私には及びがたい深みがあると思うが、一先ずこんな風に考えたい。ある病症に対して病理的な解明がなされ、それゆえに治療方法も確立されている。そうであれば、それに基づき治療のあり方も自動的に決定されるように思われる。斯く斯くのデータを揃えた。であれば、処方の薬はコレコレだ。丁度、自販機にたいしてカネを入れ、パネルを押せば望みの品が出てくるように。だが、そう言う事は、まずありえない。どれほどの段階になればここで言う「完成」と見るかにも依ろうが、自販機ならいざ知らず、医学や経済予測のような少しく複雑な事象になれば、それはモウ不可能ではないだろうか。

ソルジェニーチンの『ガン病棟』に、主治医が患者の子供に対し患部の病症よりも顔色やら声やら振舞いなどに注意を払い、トータルでその子を観察し、診断を下そうとする場面が描かれている。現在、待ち二時間、治療五分に比すれば、実に贅沢な対応ではないか(本日はこれまで。実は、他の資料等の作成に消尽したもので)。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です