2020年12月18日

12月18日・金曜日。晴れ。寒波続く。特に零時以降の深夜の外気は、ダウン入りの外套を突き抜けるほどである。春日部ですらこの寒さであれば、日本海側の豪雪の凄まじさも推して知るべし。かつて、中谷宇吉郎博士が名著『雪』(岩波新書・1938)で、雪景色を愛でる東京人の暢気さを嗤い、「白魔」の恐ろしさを説かれていた。

 

それにしても、私はこの寒風の最中、何を好きこのんで深夜の街をさ迷うのであろう。大阪市愛隣地区の西成・日本最大のドヤ街では、それはモウ呆れ果てるような老人たちが、他のお仲間と一緒になって、終日、狂気のドラマを演じ続けていると言う(国友公司『ルポ 西成』彩図社・2020)。ついに私も、その住人の一人になったのであろうか。とは言え、そこでは私は、とても主役は張れない。端役の端役ほどの役回りでしかなかろうが。

さて、都市の成り立ちについて、すでに昭和4年、柳田国男がさすがの啓発的な洞察を残している。例えば、支那の都市は高い障壁によって郊外と遮断し、門を開いて出入りさせる商業地区として存在する。西欧の都市もこれである。ここでは耕作、漁業とは無縁な者たち、つまり「市民という者が住んでいて、その心持は全然村民と別であった」(『都市と農村』16頁。岩波文庫・2017)。それ故、その歴史は市民によって織り成される都市の歴史として成立するのである。だが、柳田によれば、このように農村から孤立した都市は、わが国には存在しない。たしかに、江戸や大阪には、市民的な自治が皆無でなかったにせよ、ついにそれは未完に終わる。その住民たちは、その意識において、結局、出身地・国元との関係を断ち切れなかったからである。この心性は、現在の都市住民の多くに通ずるものではないか。盆暮れの帰省は、その名残であろう。であれば、柳田は「日本の都市が、もと農民の従兄弟によって、作られた」と主張しえたのであろう(前掲書4頁)(以下次回)。


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