2019年9月27日

9月27日・金曜日。晴れ。

 

秋分を越え、朝晩は日増しに涼しくなってきたが、日中の暑さはいまだに厳しく、何か異様な感覚を拭いえない。また、過日の房総半島を襲った台風は地域の全域に予想外の惨禍をもたらした。これらもまた温暖化現象の表れに違いない。この現実に直面し、千葉在住の一読者から、本欄の主張に触発され、今後ともこうした問題に関心を持ち続けたいとのコメントを得たのは、筆者としても望外のことであった。その際同氏は、この度英紙ガーディアンが地球温暖化に変えて「地球炎暑化」の用語にした、と伝えてくれたが、たしかにこちらの方が事態の深刻さを的確に示していると評価したい。

本日はこれとの関連で、9/23、国連気候行動サミットに登壇したグレタ・トオンベル氏の事績に一言して、筆者なりの賛意を表したいと思う。すでに周知のことで、今さら言うまでもないが、現在16歳の一少女が1年前にたった一人で始めた「気候のための学校ストライキ」(のちに「未来のための金曜日」となる)を、世界中で400万人の賛同者を得るほどの運動体にまで育て上げたには、ただ敬服するほかはない。彼女の行動には、たしかに多くの人々を直ちに説得し、惹きつけてやまない真実性に溢れている。それ以上に、いま成さねば取り返しが付かなくなるという事態の深刻さと切迫感を喚起する力に満ち、それが彼女の主張を議論の余地なく人々の心に浸透させることになったのであろうか。

その言葉は痛烈である。「あなたたちは私の夢を、子ども時代を、空っぽな言葉で奪ってきた」。「苦しんでいる人たちがいる。死にゆく人たちがいる。生態系は破壊され、多くの種の絶滅が始まっている。そして、あなたたちはお金の話や、終わりなき経済成長のおとぎ話ばかり」。「科学は30年以上にわたり、極めて明白だった」のに、「あなたたちは私たちを見捨てている」。「子どもたちはあなたたちの裏切りに気づき始めている。もしあなたたちが私たちを見捨てる道を選ぶなら、私はこう言う。絶対に許さないと」(朝日新聞・9月24日(火)夕刊)。

この言葉を前にして、考えなければならない。我々は何のために経済成長を追い求めなければならないのか。次代の人々を犠牲にし、地球そのものを根こそぎ破壊するような開発に、何故これ以上突き進まなければならないのか。最貧国・途上国はさておき、先進国の富は溢れかえり、適正な分配によって国民の誰もが十分な生活を送れるほどであるというのにである。

この点で世界のリーダーたち、そして我々大人たちは、事の本質を認識する能力において、16歳の少女の知性にはるかに劣ると、率直に認めざるを得ない。とりわけアメリカ合衆国大統領トランプ氏は、彼女のスピーチに対し茶化すようなツイッターで答え、自国の経済成長さえ出来れば、後はどうなろうと構わぬと言わんばかりの同氏の姿勢は、結局、自国の破壊をももたらすという、長期的見通しもなく、それを熱狂的に支持する国民にも、それで良いのかと問いたい。

同国は、先に銃規制を唱えたやはり十代の少女や少年たちの声を、これも経済利益のために未だに黙殺し、無い事にしているが、その国が世界最強であることに暗然とし、地球の将来に言いようの無い焦燥に駆られはしないであろうか(この項、一先ず終わり)。

2019年9月19日

9月19日・木曜日。晴れ。9/3日以来、3回にわたりアマゾン流域の熱帯雨林を扱ってきたが、今月16日(月)、朝日新聞が同問題を大々的に取り上げた。その論調は筆者のものに近く、わが意を強くしたが、朝日は問題提起に留まったのに対し、本欄はその解決策にまで及んでいる点で、深みがあるとの一読者の評を得、大いに気を良くした。

なお本日は、今月1日刊行の『明治大学広報』(731号)・論壇欄に掲載されたわが一文を掲げておきたい。因みに、本文に対する学内の感想はおおむね良好であり、特に論題の案件を直接扱う部署では、かなり衝撃的な内容であったらしい。

 

創立140周年記念事業に寄せて――夢を語ろう――   監事 金子光男

 

一つ、夢物語を書かせて頂こう。2年後に創立140周年を迎える本学は、現在、その後の150周年祭を見据え、さらなる発展の礎となるべき様々な事業を企画している。以下は、この企画立案の一助になればとの思いに発したものである。

「御茶の水地区再開発に向けて――歴史と文化の薫る潤いのある街づくり」なる研究プロジェクトの設置を提案したい。だが、これは単に駿河台キャンパスの再開発案ではない。北に神田川を画し、明大通り、靖国通り、白山通りに囲まれた地区全体の開発プランの策定である。本学はそうした環境の下で新生し、21世紀を拓く新たな「暁の鐘」を撞き始めるのである。

思うに当地区は、都心に残された数少ないもっとも重要な開発対象地区ではないのか。ならば、大手ディベロッパーにとっては垂涎の的であろう。当地の歴史的、文化的意義は言うに及ばず、皇居はじめ政財官界の中心地に隣接しながら、ビルと家屋群が雑居する。路地は入り組み、緑は無きに等しく、憩う場もない。古書店巡りを除けば、散策の楽しみは皆無である。昔からの住人は高齢に達し、今更建て替えや転居も決断しかねる。と言って、今後を思えば、さまざま不安に感ずる向きも多かろう。とすれば、当地区の再開発には行政的な関心も強いとみる。

当計画案の作成にはどれ程の時間と経費を要するであろう。本郷台の南端を頂点とし、神保町まで一気になだれ落ちる地形上に、「暮らしてみたい街」を浮き上がらせたグランドデザインが描かれなければならない。そのためには、単なる都市工学・開発の視点を越えて、無数に錯綜する利害関係の調整や経済的な諸問題等、要するに理科や文化を総合した学際的な観点からの研究が不可欠だからである。ここに本学は独自の研究手法・領域を開発することになるが、それが孕む可能性は計り知れないものがあるはずだ。

のみならず、千代田区、関係省庁の知見に学ぶところも多かろう。国内外の都市開発プランナーを招いた国際シンポジウムでは、都市再生の物語を紡ぐ。その成果は、逐次、学術書として刊行されるのだ。魅力的で実践性の高い計画だと分かれば、一級のシンクタンク、ディベロッパーも黙ってはいまい。となれば、本学は新たな研究パートナーと共に、従来にない水準の研究支援を期待しうるではないか。

確かに計画案は案に過ぎない。だが、発想力のあるプランニングは、これに触発されて多くの構想案を生みだし、一つとなって現実を動かす起動力となりうる。19世紀末、汚濁と汚わいに塗れたベルリン市が世界屈指の都市へと甦った事実がある。折しも鴎外が「ウンテル、デン、リンデン」と謳うように闊歩したのはその頃であった。

本学のかような知への貢献は、「明治の学」を改めて天下に知らしめるに違いない。

2019年9月13日

9月13日・金曜日。曇り。夏季休暇が終わり、理事会始動す。よって、今週はかなり多忙であった。本日で前2回の論題を締めたい。

 

アマゾン流域破壊の第3の問題点は、同流域への不法入植である。この地帯には9か国が関わると言うが、そのいずれも当局の監視が届かない遠隔地になるほど、農地を持たない農民たちの不法な占拠が野放しとなり、やがては農地占有権の承認を要求するにいたる。その結果、農地や放牧地のための野焼き、焼き畑に歯止めがなくなる。それ以上に問題なのは、政治家や土地開発業者の「出来るだけ広大な土地を我が物にしようとする貪欲」である。彼らの狙いは、こうして得た土地の販売であり、「投機」利得そのものである。

「非公式な土地市場や公的な未利用地の私有化に対する公的機関の規制の欠如が、こうした現象を生みだした」とは、コロンビア保存・持続開発財団のロドリゴ・ボテーロ氏の言である。それでも、環境主義者からの圧力はあって、ボリビア政府は投資規制を目指して、火災破壊による土地販売の禁止条項を打ち出し、「環境保護的なポーズ」を宣言せざるを得なくなった。だがこれは、「当局の承認の許、この5月以来、すでに120万㌶の草原、森林を火災で焼失」した後では、すでに後の祭りと言う他はない。こうして、例えば家具や器具材用には最良のマホガニーは乱伐もあって、消滅の危機にあるらしい。

どうであろうか。以上3項目を一読するだけでも、広大なアマゾン流域の熱帯雨林が広範囲にしかも急速に消滅の危機に瀕している様が察せられるであろう。それが失われることによる地球規模での温暖化への影響を考えれば、何か暗澹たる思いに陥らないであろうか。これに加えて両極の氷塊の流失もある。そう言えば、今年の夏の暑さは尋常ではなく、連日のように50年、100年ぶりの熱暑と豪雨の記録を聞かされた。しかし、これらを読めば、それは単に始まりに過ぎないらしい。今後は一層その度合いを増し、ついには生命全体が日照りと干ばつと飢餓の中、のたうち回るような責苦を受けつつ滅んでいく、そんな事態に追い込まれるのであろうか。

だから、アマゾン流域諸国が悪い、と彼らを断罪するのが、ここでの我が趣旨ではなかった。地球環境の破壊と温暖化を今日までの事態に追いやった第一の元凶は、先進諸国である。18世紀の産業革命以来、先進諸国は科学技術を進化させ、それを駆使して、地中からあらゆる物質を掘り出し、豊かな生活の名の許で二酸化炭素を地表上に放出し、今なおそれを止めようとしない。

発展途上国が開発された技術に着目し、自らの国土に眠る資源に目覚め、先進国が追い求めた豊かさを追求するのを、誰が咎められようか。しかもその支援を、先進諸国の大資本が買って出ようと言っているのだ。彼らからすれば、今更勝手なことを言うな。国家主権に介入するな、これがブラジル大統領、ボルソナーロの言い分であろう。現にそれに近い言及は同日のTheJapanTimesの「何故、ボルソナーロは外国支援に慎重なのか」の記事にある。

そこで筆者の結論はこうである。アマゾン流域の熱帯雨林が「地球の肺」と言われるほどに重要であり、掛け替えのないものであるならば、世界諸国がその使用料、恩恵の対価を経済力に応じた比率に従って支払う制度を創設し、同時に雨林に手を付けずとも発展しうる持続可能な経済的・技術支援の対策を講ずることである。勿論そこでは、主権国の主権と主張が十分尊重される体制が取られなければならない。恐らく、その仕組み作りは他の途上国の支援の在り方にも役立つはずである。今や、世界は一国だけの発展、繁栄を追究出来る時代ではない。それを目指すには、地球の諸事象は世界中に波及し、いずれの国もそれを免れることは出来ず、各国の行動は直ちに他国に連動すなど、諸国は緊密に繋がり、一体となり過ぎてしまったからである(この項おわり)。