2019年6月26日

6月26日・水曜日。晴れ。早や夏至越え。向こう半年、太陽は最も苛烈な燃焼と共に、日一日とやせ衰えるか。例によって、前回の文章、やや手を入れた。

 

では、戦いは何故「水を守る運動」となるのか。水、ここでは地域の水系の重要性を最もよく知るのは、北米大陸では先住民たちであった。後の移住者たちはその意味の広さと深さを彼らから教えられる。山から発する細流は互いに結ばれ合って丘を潤し、大河となって海にそそぐ。逆に、鮭を初め海からの回遊魚が川を遡上し、こうして世界は一続きとなる。川は命の水と共に暮らしの糧をもたらすばかりではない。「私たちの魚、動物、植物、民族、その暮らし」を支え、その水系に集住する各氏族や部族を繋ぎ合わせる紐帯でもある。「相互に結びついた水域は命の動脈であり、その流れはこれらのコミュニティーのすべてを共通の目的で結びつける」からである(クライン・下・462頁)。

その水系がフラッキングや採鉱、パイプラインや石油・ガス精製の巨大装置或いは輸出ターミナル等の建設によって寸断され、汚染にまみれるならば、広範な地域住民たちの生存の破壊、消滅は逃れられない。

加えて、ここには大量の水の消費と汚濁がある。その結果、「オイルサンド油田と改質プラントの周りには、宇宙からでも見えるような巨大な鉱滓「池」があるのだ。またシェールガスであれシェールオイルであれ、フラッキングにおいても従来の掘削よりはるかに大量の水が必要である。…「従来のフラッキングで使用された水量の70から300倍に当たる」。使用後、こうした水のほとんどは放射性と有毒性を帯びる。2012年、フラッキング産業はこうした排水を、アメリカだけで約1兆リットル生みだした。『ガーディアン』紙によれば、これは「ワシントンDC全域が深さ6.5メートルの有毒な沼に沈む量」である」。「しかも今日、世界中の淡水資源が危険にさらされている。実際、採掘事業に利用される水は…近年フラッキングが大幅に急増しているテキサス州など、数年にわたる干ばつですでに枯渇しかけている帯水層に由来することが多い」(同上・464頁)。この結果はどうなる。将来、真の水飢饉に直面した場合でも、住民たちはもはや飲料水・生活用水は得られず、彼らの生存は極度の危険に晒されることになる(以下次回)。

2019年6月14,21日

6月14日・金曜日。曇り。今週の多忙にはマイッタ。いつ頃だったか定かでないが、「未病」なる言葉を知った。病気ではないが、さりとて健康でもない。わが体調をこれ程的確に示す言葉もない。そして、昨今、天秤のバランスが傾き始めたには、来月6日、76歳を迎える身としては、やむを得ない仕儀である。前回の文章に手を入れた。

6月21日・金曜日。晴れ。

 

最新の技術を駆使した、陸海を問わぬ地中深部への「最後の一滴」を求めて止まない人類の介入は、大気圏や地球表面の全てに甚大な被害をもたらしている。今さら挙げるまでもないが、温暖化による気候激変、南洋諸島の消滅すら危惧される海面上昇、繰り返される制御不能な巨大豪雨と過去に例のない干ばつ、山林崩壊や海洋汚染等など、人類は現在、自らのタガの外れた無制限の経済活動の結果として、自然界から地球規模での容赦ない復讐を受けている。それはまさに、最後の1ドルまでも巻き上げなければ収まらない人間の「狂気」の結果である。クラインはそうした人間―特に石油・天然ガスと言った巨大企業、資本―の強欲に対して、身を賭して果敢に挑戦したのであった。

彼女の戦闘の根幹にあって、そこで守られるべきものは「生命」であり、これを育む環境であり、これに根ざす生きてあるものたちの生存であろう。地球温暖化はこの生命の営みの場、すなわち環境を無に帰する危険がある。どころか危険は眼前に迫っている。そして、その元凶である先端技術に身を固めた巨大企業・資本が、彼女の戦うべき敵手となった。

資源開発企業はガスや石油を「最後の一滴」まで絞りつくした後は、変り果てた荒涼とした大地をそのままに、別の原産地へと去っていく。その土地に対する愛着は微塵もない。破壊のままに彷徨う放浪者、これが彼らのありのままの姿なのであろう。しかし、他方でそこに生きるものたち、人間や動植物にとって、その土地は命を支える掛け替えのない場であり、不可欠の条件である。景観と歴史が一体となった、子孫たちに受け継がれる舞台でもある。たしかにここにはカネやそれによって手にし得る富はない。しかし、ここは「現在の経済では計るすべのない豊かさ」に満ち、だから「私たちはそんなに貧乏というわけじゃない。お金はないかもしれないけれど、きれいな水もあるし、健康だし」と、生活の安心と誇れるものがある。これらが失われる事は恐怖であり、抑えがたい怒りに駆られる。それゆえ、これを死守しなければとの闘争が激烈になるのは当然であった(クライン・下・461頁)。その戦いは「水を守る運動」として展開される(以下次回)。

2019年6月5,7日

6月5日・水曜日。晴れ時々曇り。やや蒸し暑いが、風爽やか。最近、思うところあり。昨日の疲労は必ず翌日に及ぶが、前日の元気は今日を保証しない。本日の出来不出来は迎えてみなければ、分からない。よって、計画や予定は立ちにくい。これもなってはじめて知る老いの発見である。

6月7日・金曜日。雨。

 

闇雲に働き、病に倒れ、精神を病めば治療を受けるが、支払い額は経済行為としてGDPに反映され、同じことは大気汚染等の公害の発生と対策に関わる経済活動についても言える。要するにGDPで示される経済成長には、そうした生活の充実、幸福感とは無縁な、それどころかそれらを破壊する経済活動の結果も組み込まれており、であればその数値の上昇は即「幸せなマニフェスト」にはならないと、著者は言いたいのであろう。

さらに、こうした果てしの無い欲求に駆られた経済活動の延長線上にある、現在のグローバル化した自由主義的経済活動、その成長至上主義がもたらす地球規模の環境破壊やその惨状は危機的ですらあり、このまま放置すれば生命の生存すら危うくしかねないところまで来ている。その様相を気候変動の側面から告発したのは、ナオミ・クラインであった(幾島・荒井訳『これがすべてを変える 資本主義vs.気候変動』上・下岩波書店2017年)。ここではその一点だけを引いておこう。それは、フラッキングと称する水圧破砕の技術を用いて、天然ガス・石炭採掘・シェールガス(頁岩・けつがん・という泥岩に含まれる天然ガスの一種)採掘によって生じた環境破壊であり、みるも無残な結果を惹き起こした。

まず指摘されるべきは、天然ガスをフラッキングによって採掘した場合のメタン排出量は在来型に比して30%ほど多くなるが、それは生産、処理、貯蔵、輸送の全てで漏洩するからである。しかもメタンの熱吸収率は、通説に反してCO2の34倍に及び、地球の温暖化は長期的に見て、ネットワーク化された「大気オーブン」の発生によって一気に高かまると言う(上・196頁以下)。

その採掘と精製方法が問題である。在来型に比べて高額で複雑な生産工程を取るが、資本の回収を考えれば、稼働年数は数十年規模となる。しかもここには世界的なビッグビジネス間の生死を賭けた競争が加わる。限りある資源を少しでも多く採取しなければならないからだ。

採掘方法は頁岩層に割れ目を造って、埋蔵されたガスを採取するが、地中深部に長期間、高密度に圧縮された状態にあった頁岩層は硬度も高く、その破砕は容易では無かった。21世紀、米国でそのために開発された技術は破壊力もあり、しかも水平坑井(こうせい)技術へと進化することで漸く実用化されることになる。やがて北米を越えて世界に拡大するこの結果は目を覆う惨状である。

「岩を爆破して原油や天然ガスを採掘したり、タール状の泥に高温の蒸気を圧入したりといった極端な抽出法を組み合わせて使うことが増えている。たとえば、オイルサンドにに含まれるビチューメン(粘度の高い原油の事―引用者)を溶かす水を加熱するために、フラッキングで採掘したした天然ガスをパイプで送り込むと言った具合だが、これはエネルギーの「死のスパイラル」のほんの一例にすぎない。言い換えれば、業界が革新と呼ぶのは、自殺へと至る中毒の最後のあがきのようなものだ。大陸の岩盤を爆破し、有毒物質とともにポンプで水をくみ上げ、山頂を削り、針葉樹林を丸裸にし、深海を危険にさらし、氷が解けつつある北極海を先を争って開発する―すべては最後の一滴、最後の岩まで手に入れるために。そう、これを可能にしているのは最先端の技術ではある。だがそれは革新ではなく、狂気なのだ」(上・198頁)。

その結果はどうか。豊かな原野は破砕による地割れのためガスや油分にまみれ、多様な生命の死滅を招く。近隣民家の水道水が突然燃え出し、不自然な病状や高率の癌発症を呼ぶ。これらを告発する医者や研究者らは、当局、企業に取り込まれ、これを拒む者たちは様々な誹謗と妨害を蒙って、社会的な抹殺の対象となる。この経過は、わが国の原発に対する市民運動家、研究者たちのそれを彷彿させるものがある(上川龍之進『電力と政治 日本の原子力政策全史』上・下勁草書房・2018)(以下次回)。