2018年11月30日,12月4日

11月30日・金曜日。晴れ。本日、霜月晦日。明日よりは師走。この一年もまた日々の必要に明け暮れ、振り返ればただ茫々たる思いのみ。

12月4日・火曜日。晴れ。過日の健康診断の結果によれば、軽度高血圧との事。かような言葉自体初めて知った。確かに頭脳明晰とはいかず、疲れやすく、根気も失せつつある。これを歳と言うべきか、病の兆候とみるべきか。

 

では、歴史や風土に沿うとは、どういう事であろうか。このような問いを発して、以下少しばかり具体的に考えてみたい。まず、筆者がここで言う歴史・風土とは、人々の生活が気候や地形といった自然環境の要因に大きく影響されながら、しかし同時にその時代の学術・技術を駆使し、人々は自然環境に対峙し、これを生活改善に向けて改変しようと努力する。このような努力の蓄積を通して培われるその地域の生活様式の全体だと考えたい。

この全体の中には、当然、人々の暮らし方、考え方、衣食住の在り様の全てが含まれる。和辻の風土論が自然決定論的であるとすれば、ここでは人間の側からする改変力をむしろ積極的に重視しようとする。

こうした視点の転換は、科学技術の自然界に対する圧倒的な支配力を目の当たりにしている現在では、特に注視されなければならない。この点は、ここでの論題から逸れるが、やはり一言しておきたい。と言うのも、人類の獲得した現在の科学技術とその発展は、我々に歯止めなき自然支配への欲求を掻き立て、このまま自足への自制心を欠き、欲求のままにふければ、我々人類は地球を破壊し、丸ごと食い潰してしまうのではないか、そんな恐怖すら覚えさせる勢いだからである。この意味で、1972年に出された『成長の限界』なるローマクラブの警鐘が改めて想起されなければならない(以下次回)。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です