2018年8月27,31日

8月27日・月曜日。熱暑続く。

8月31日・金曜日。猛暑。本日、大分県宇佐市より帰京の後、早稲田事務所に。明治大学ウェイトリフティング部合宿に招待されたため。2泊3日の旅であるが、久しぶりの練習風景に接し、旧知の部OB達との再会を喜んだ。

 

(4)、本稿の主題の一つは、少子化問題である。これこそ縮む社会の根源であるから、当然である。であれば、政府も出生率の改善を目指し、あれこれ対策を取っているのだろうが、しかし待機児童の問題は依然として改善されず、また2007年当時は、あろう事か全国的に産科医不足から産婦人科の縮小や廃止した病院も多く、「産科危機」なる言葉すらうまれたらしい(朝日新聞・2007/3/25)。こんな現状では、出生率のV字回復など望むべくもないが、これに業を煮やした自民党二階幹事長は独身男女の生き方を身勝手となじり、同性愛者の婚姻は生産的でなく、税金投入に値しないと公言する自民党議員まで出た。ここには、国家と個人の関係を考える重要な問題がいくつもあるが、私見では国家とは本来、個々人の福利厚生を図るためにあると考えられるが、彼らは逆に、個人とは国家に奉仕すべき存在であると見なしているようにみえる。だがこれは、戦後民主主義の否定であると同時に、戦前の国家観への回帰ではないか、と言っておきたい。そして、それらとは別に、過日、The Japan Times、Monday Aug.6、2018で「日本のママたちには、未だか細い出産後の支援」と題する記事を読み、こんな事で人口増やその回復を政府は本当に願っているのかと、危ぶんだ次第である。

出産後の若い母親たちはしばしば育児不安やその他様々な精神的疾患に見舞われるようだが、小家族の現在、これらに対する支援は中々受けにくいのが実状であろう。頼りとする実家は遠く、その援助は難しいからである。勢い彼女たちはこれらの問題に、周囲に相談相手も無いまま、一人で孤独に対応する他はない。時にそれは、自身の「深刻な健康問題や子供を傷つけるまでに進行する」ばかりか、折も折、今年3月、5歳の女児が死の直前に、言うことをききますから、もうそんなに虐めないでくださいと、両親に懇願した手紙を残すという悲惨な事件を見たばかりである。だが、親たちがそこまで追い込まれる前に、「助産婦、看護婦、その他の専門家のアドバイスを受け、また悩みを打ち明けられれば、母親たちの不安は大いに解消されよう」。しかしそのための主たる障害は、まずもって「資金不足とそうした人員の不足」に帰せられるとは、最近、全国的になされた調査の結果である。

「調査に答えた1384の地方自治体のうち、こうした産後の支援サービスをしているのは、26.2%でしかない。中央政府は2015年以来、経費の半額まで補助金を出してはいるのだが。」これに対して、将来的にはそのような支援を導入したいとするのは、僅か34.4%であり、28.6%はそうした計画すら持っていない。政府は2017年、「産後サービスの方法と主要問題」なるガイドラインを策定するなどそれなり努力するものの、調査では、自治体の多くは「国からのさらなる資金援助とそれとは別の支援」を求めているのである。

みずほ調査研究所の所員によれば、自治体が産後支援の予算化に消極的なのは、母親たちがそうしたサービスについてよく知らず、折角の予算付けも費用対効果の面で不確かだからと言う。だが、それは単なる広報や教育不足の故であり、とても真面な理由とは思われない。要するに、自治体にはそれに回せる人員やカネも無く、やるにやれないのでは無いか。しかし「育児環境の向上は人口減少の対策にとっては、有効であり、長期的には是非とも必要である」ことは、言うまでも無い。

ところで、我々はこうした問題をどう考えればよいのか、と途方に暮れる。わが国は、出産や子育てに必要な客観条件も十分に整えられないほど、まだ貧困なのであろうか。先進国を自負し、都会では天を衝くようなビル群が建ち並び、外国にはふんだんの資金援助をしながら、国内でのこの貧困は何に依るのであろうか。それとも、こんな事は国民にとっては、放っておいても構わない、瑣末な問題なのであろうか。誰か教えて頂きたい、と衷心より思う。


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