2017年9月1日

9月1日・金曜日。曇り。10月頃の陽気とか。

裁判長の尋問に答えて、判証人は、こう証言する。昭和23年9月、彼は藤田刑事部長私宅で持たれた毒物捜査会議に招かれ種々意見を求められたが、特に「死因判定の問題で私の推論的結論が受け入れられ承認され」た、と言う。この推論的結論は、予め送付された事件捜査経過や検査結果の報告書等からなる10項目に及ぶ文書を基に彼が割り出した結論である。そこには、東大・慶應法医学教室での死体解剖記録、警察本部科学捜査研究所及び木村健次郎東大教授による毒物分析結果報告書等が含まれていた。

彼は登戸研究所元所員土方 博と共に会議当日、「帝銀毒殺事件の技術的検討及び所見」を提出し、「第一毒液を「青酸カリ」または「青酸ソーダ」あるいは両者の混合物」と特定した。ここに至る経過はともあれ、ここでは興味深い結論部分のみを引いておこう。「本件の毒物は…工業用のものと判断するを適当とす。これが理由は一般市販の青酸カリを溶解すれば大小差はあれ、どれも不夾雑物及び沈殿の少量混在す。…本毒殺事件に使用の毒物は純度悪しき工業用青酸塩で、入手比較的容易なものである」。つまり、平沢でも手に入り、純度の低い青酸カリであったがゆえに、その効力が遅効的になったのだ、と言いたかったのであろう。それにしても苦しい言い訳であり、半年前の彼らの見方とは何たる相違ではないか(以上は木下前掲書に拠った)。

さらに、ここには東大・慶應の解剖所見の違いや、東大の報告の乱れ、また重要な会議が私宅でなされたという不思議さなど様々指摘されているが、それらは割愛しよう。大事なことは、何故に本部の捜査方針の突然の転換がなされ、それに合わせたような奇怪な対応が次々取られたかである。清張や他の研究者、あるいは平沢冤罪説の支援者が一様に指摘するところであるが、そこにはGHQの介入があった。GHQは犯人を庇ったのではない。恐らく、犯行は731部隊の生き残りの一人に違いないが、これが露見すれば、そこから生体実験の膨大な資料と引き換えに免罪した石井部隊との取引、人体実験の隠蔽等が全世界に知れ渡ることを、GHQは恐れたのであろう。平沢はそのための生贄になったのである。日本政府はそれを容認した(この項、次回で終了の予定)。


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