• 8月21日・金曜日・曇り。熱暑去る。 まだ来ぬか 待ちにし法師 昨日鳴く。みつお

    熱暑に参り、二週間の休みを取った。といって、どこかへ行くあてが有ったわけではない。ただ夕暮れまでダラシナク昼寝、いや夕寝をきめこみ、その後夕食をかねて読書と称し、近所のレストランに通う日々であった。もちろん、我が家にも書斎はあるが、気分転換に河岸を変えるというわけだ。しかし、昼寝の後に気分転換と言うのも、ヘンな話で、ただのモノグサ、言い訳に過ぎなかろうが、しかし、私にとってこの気分転換こそが全て。この儀式を経なければ、何事も次に進まないのだ。よって、本を読む気にもなれない。これは、わが学生時代からの宿痾である。

    と、こんな懺悔めいたことを言ってみたのは、かように無為な時間を過ごす最中にも、社会ではそれこそいろいろ大変な事態が生じて、これまで綴ってきた話題があまりにも浮世離れしてきた、もはやこんな事を言ってる場合ではない、そんな気分になったからである。もっとも、それ以前だって、随分浮世離れの独り言には違いないのだから、今更、改まるまでもないことは、私も十分弁えているのだが。

    さて、では、どう改まったのか。安倍談話と安保法制、川内原発の再稼動等、こうした問題について、どう考え、自分なりにどう始末をつけるべきか、である。ここではその内、安倍談話についてのみ、述べておこう。

    当談話は、それこそ一年ほど前から様々取り沙汰されてきた。首相の真意を探れば、恐らく村山・小泉談話の抹消であったろう。だが、いかに一強多弱の政治地図にしても、それはさすがに出来る話ではない。だから、首相は早い段階から、内閣は両談話を「全体として引き継ぐ」と表明してきた。だが、この言葉によって何が、どう「引き継」がられるかは、曖昧のまま残された。そこに、国民はじめ近隣諸国の不安もあった。しかし、「全体として引き継ぐ」と言ったからには、その意味は、先の日中・太平洋戦争における日本の責任を認め、今後も不戦の方針を日本政府の国策とする、と言明したに等しいと取れるだろうか。それを前提として、両談話を「上書き」し、「積極的平和主義」に立った未来志向の談話を目指す。ここにこそ、戦後七十年に発せられる安倍談話の意味もある、ということなのであろう。そして、首相の意図をこのように解釈できれば、当初危惧された首相の姿勢は、かなり平和主義的な方向を取らざるを得ないと考えられたし、事実、そうなったのである。

    だが、これまでの流れから見ると、私にはそれが首相の真意に発した当初からの政策であり、方針であるとは、どうも感ぜられない。首相は国内外からの強い圧力に屈した、それが言いすぎなら、妥協したのではないかとしか思えないのである。中でも、オバマ政権の圧力が強かった。米国は、談話の内容によっては、尖閣列島をはじめとする東シナ海や日中関係のさらなる緊張激化、それ以上に日韓関係の破綻を来たしかねぬ、と恐れたからであろう(久しぶりで疲れた。今日は、コレマデ)。

  • 7月28日・火曜日・相変わらずの猛暑。地下鉄のクーラー効かず。そこで一句。 

    どの咎か 列島襲う 土砂炎暑。 みつお  

    だが、このような物質観の変容は、それのみに留まらなかった。絵画では、物質は揺らぎ始め、明瞭な線が消え、点描へと変わって印象主義が誕生するのである。因みに、モネの「印象―日の出」が描かれたのは、1874年のことである(清水幾太郎『現代思想』1966)。また、こうした確固たる世界観の崩落は、思想・哲学においても無縁ではなかった。ニーチェはこの事を、「神は死せり」との一言によって決定的にしたのである(『ツァラトゥストラかく語りき』1883-85)。

    この辺りの思想史上のダイナミックな転換と潮流を跡付けようとすれば、ダーウィンの挑戦、神学と哲学の闘争(例えばフォイエルバッハ、ヘーゲル左派やマルクス主義等々)あるいは、当初、神の存在証明の徒でもあった自然科学の神学への反逆など、私には手におえない分野に分け入らなければならない。ゆえに、私は大急ぎで我が当面の問題に逃げかえろう。

    私が上記の線上で言いたかった事は、自然界を貫徹する必然法則に対する疑念である。先に触れたように、今では自然科学の法則知は極めて限られた領域でのみ妥当するだけの、しかも暫定的真理にすぎなくなった。とすれば、こうした自然科学的な手法とその知的体系を社会事象の中に持ち込み、それに応じた法則知を確立しようなどという試みはそもそも成立しない。 

    ところで、もしこの事が可能であったとすれば、それは我々の人生上にいかなる意味を持ちえたか。マルクスの場合が分かりやすい。彼の予言したように、資本主義の崩壊から社会主義への移行が自然法則のごとく逃れがたい必然であるとすれば、その移行が出来る限りスムーズに実現するよう、人々はそれに参画すべきである。その移行には当然、現体制下で利益を得ている政治勢力の根強く、強力な抵抗、反革命は不可避であり、それだけ産みの苦しみを免れないからである。こうして、絶対的な法則知は、そこに将来の予測と対策を絶対的なものとして告知し、ここに「人はいかに生きるべきか」の問題を解決されるのである。この時、決断者は必然に引きずられて已む無く行動するのではない。事柄を正しく認識した者は、自らの自由意志において、主体的にそれを選択するのである。かくて自由と必然は一体化されることになる。実に魅惑的な解答ではないか。

    こうした人生問題の解答は、中世ではカソリックの教義によって与えられた。神はこの世を造り給ふた。無謬権を備えた教皇以下教会内の位階制と世俗社会での身分制は、神によって定められたものとみなし、それゆえ教皇の命令や教えに導かれながら、人は社会内に置かれた場においてその勤めをはたすべし。君主は君主として、奴隷は奴隷としてのつとめがある。神への絶対的な信仰を持つ限り、人々は来世における救済を信じ、野の百合、空の鳥のように、明日を煩うこともなく平穏に日々を送れるわけである。

    しかし、19世紀末、時代は神の死を見、また科学的な真理知を見失った。時代は縋るべき地盤を失ったのである。これは生の意味を失ったに等しい。人は何のために生き、何処から何処へ行くのか、と言う問いに自ら答えなければならなくなった。ニーチェはこれをニヒリズムと言った。彼は超人の思想でこれを克服しようとするが、全ての人間がそうしたエリートになりうるものではない。ここに、20世紀の荒涼が始まる。

  • 7月23日・木曜日。曇り・連日の猛暑、やや和らぐ。

    前回で説かれた主張によれば、事象はすべて原因・結果において捉えられ、その関係は必然的である、とする立場に立ち、それは決定論的と言われるものである。この決定論にもギリシャ以来の歴史といくつかの流れがあるはともかくとして(こんな問題は、とても私には論じられないから)、これは自然科学の説明原理としては、極めて説得的であり続けたのである。だが、20世紀初頭になって、量子力学が確率概念を登場させるに及んで、ようやく科学の舞台から退場させられた。そこでは、本来分割不能とされていた原子のなかでの中性子、素粒子、陽子・陰子の構造と振る舞いは一義的、決定論的な関係では捉えられなくなってきたからである。

    以上は、われわれの日常生活には直接関わる世界でないことは、いうまでもない。しかし、「真理は細微に宿る」。原子の説明原理は宇宙のそれに繋がり、生命の起源の問題を解き明かすかもしれない。近年の古生物学の知見によれば、「歴史的ないし進化的発展の連鎖は完全に一貫しており、事後的には説明できる、しかしおこり得る結果についてははじめに予言はできないというのである。なぜなら、もし同じ進化の路線が二度目に設定されたとしても、何らかの初期の変化があれば――たとえいかにささいな変化で、初期には一見何の重要性もなかったとしても――「進化は根本的に異なった水路に滝の水のように流れ込む」からであった。この方法の政治的、経済的、社会的な帰結は遠大なものになるかもしれない」(E・ホブズボーム著河合秀和訳・20世紀の歴史・下378頁・三省堂)。ここに、「出来事は偶然ではないとしても、ある特定できる原因から生じる結果は予言できない」ことは明かであろう。

    私自身でもよく分からない事を、こうではないかと勘グッテ書いているのだから、読み手が戸惑うのもやむをえない。ただ、私がここで言っておきたかった事は、正確精密を身上とし、堅固な土台の上に打ち立てられたと思われる自然科学の認識も、その土台は案外ヤワであるのかも知れないということである。むしろ、こう言えるのかもしれない。19世紀までは、ニュートン以来の力学、物理学は生活上の諸事象をほぼ完璧に説明しえ、予測可能であって、その信頼は疑うべくもなかった。カントはそうした精密性に感嘆し、それに相応しい哲学的原理の確立を目指した様であったし、19世紀半ばにJ・S・ミルが精密自然科学に匹敵しうる経済学の樹立のために『論理学体系』を著したのもそうであった。思えば、マルクスが史的唯物論に立って資本主義から社会主義、共産主義への移行を必然法則として信じたのもこうした自然科学観があったからであろう。だが、認識の進化は物質の堅固さを奪い、まったく異なる物質観を生むに及んで、自然の見方のみならず、「政治的、経済的、社会的」な観念まで変革したのである。まさに「その帰結は遠大」であった。

  • 7月16日・木曜日。台風接近による余波か、かなりの雨。

    では、それはドウ確かめられようとするのか。ポパーは分かりやすい事例を上げてこれを説明しようとする。「カラスは黒い」。これは一応、科学的な理由に立ってそう言明された。とすれば、これが真であるからには、カラスは、時空を超えて、全て黒くなければならない。しかし、これを全部、一羽づつ確かめるのは、不可能である。そこでこれを「黒くないカラスはいない」としたらどうか。過去を問い、また将来、黒以外のカラスが一羽でも発見されたら、この文章の妥当性は否定されることになる。このように科学知とは、常にその真偽が検証されるような形式で提示されるものでなければならない。これを「反証可能性」と言い、これによって科学と似非科学との境界線が引かれたのである。そして、現在の科学知の真理性、妥当性は、これを否定する事実が提示されるまでの、暫定的なものに過ぎないことを論証したのである。

    この意味は科学の範囲を確定し、その論理を明示したという点でとても重要である。例えばこんな事例はどうか。「存在するものは合理的であり、合理的なものは存在する」。これはヘーゲル『法の哲学』で語られた有名な一文である。この文章を是非とも、口の中で何度も何度も口ずさんで欲しい。そうすると、ここでは現実世界の全てが見事に説明されているのに、気付かされるだろう。しかし、それは反証のテストにかけようもないから、現実をなんら説明したことにならない。これがポパーの見解で、だからこれは似非科学だ、となる。へーゲリアンにとっては大いに不満のあろう事ながら。

    ところで、科学知の検証はドウ為されるのか。先に、実験について一言した。科学的な命題が提示されるまでには、多年にわたり、膨大な量の実験が行はれるが、そこにはそれを規制する様々な手続きがある。コッホの「四原則」にみたとうりである。何でもかでもデタラメに数さえやれば、時に幸運に恵まれ、良い結果につながるなどと、期待したいかもしれない。これをserendipityと言うが、ウェーバーはいう。真剣に必死になって努力するものにしか、そうした「僥倖」は訪れない。当然、こうした実験過程は時期、時間、素材、装置、手続き等について、詳細な記録が残されなければならない。ここが大事だ。これに基づいて、他の科学者たちによって再実験が行われるからだ。そうして、その成果が再生され、ここにその正しさが検証されるのである。かかる検証作業はその成果が重大であるほど、世界中の、一級の科学者たちによって行われよう。小保方氏の不幸はここにあった。彼女の主張は世界の誰によっても再認されなかったのである。 

    こうした検証過程を経て真理(とは言え、暫定的真理)と認められた科学知は、因果法則として提示される限り、それは事象の認識であると同時に、予測を含む。しかもそれが、普遍妥当性を持ったものであれば、その予測は必然的でなければならない。それだけではない。ある原因が特定の結果を必然的に生ずるとすれば、この結果を生じさせるためには、その原因を設定すればよいことになり、ここに認識知は技術へと転化されるのである。ベーコンが「知は力なり」と言ったのは、この意味であったが、本来、科学と技術は別物であって、これが科学技術として一体化されたのは、近代のことであった。知の技術への奉仕はここに始まる。これについては、いずれ別に述べるとして、ここでの問題にケリをつけておきたい。ポパーによれば、認識知と予測知と技術化とは、理屈からすれば、一体化されうるもので、そのどこかで破綻があればその法測的知識は間違っていることになる。

    しかし、ポパーも知るように、そうは問屋が卸さないところが、ムツカシイ。

  • 7月9日・木曜日・連日の雨。ギリシャに端を発し、中国市場荒れる。日本経済の行方は?

    上の事から、言うべきことは色々あるが、第一に指摘しておきたい事は、科学知とは現に生じている事柄のごくごく一部しか知るにすぎない。その意味でこれは、無限の内容を含む現実世界から、これまた無限のモノを切り捨てて得られた、極めて抽象的な知識である。しかもそれは、人間の側からその関心に応じて、対象の一部分を切り取って、それを知ろうとする営みである。だからこれは「人間中心主義」と言はれもするのである。そして、科学の論理がそういう事であれば、科学知はどこまで行っても事象の断片知にすぎない訳であるから、かような断片知をいくら寄せ集め、集合し、そこから一大総合体系知なるものをこしらえ上げても、その総合理論から現に起っている事柄を全体として見通し、予想し、その事柄をコチラノ都合の良い方向に引き寄せることなど、まるで不可能であろう。かつて、カール・メンガーはチラッとそんな事を考えたようだが、この点で彼は理論構成の意味と限界を見そこなったのである。しかも、理論と現実との乖離、その落差の問題に知悉していた彼にして、そうした錯誤に陥ったことからも、この問題の奥深さを教えられるのである。

    さて、かりにもせよ、ソンナ便利な理論が出来れば、人間にとってこれほど幸福なことは、またとあるまい。その時、我々はついに全ての事象を知り、予測し対策が可能になるであろうから、人類は貧困や争いから免れ、地球環境を守り、生命を維持し、もしかしたら不死の身を得るかも知れぬ。それは我々人類が神になるに等しい。現在、目前の株式市場の乱高下、あるいは台風の発生、その進路の予測、地球上に生ずる政治経済の混乱にすら困惑しているこの吾ら人類が、である。

    私は、悪ふざけや冗談から、こんな事を言っているのではない。現在の地球上における我々の振る舞いは、既に常軌を逸しているのではあるまいか。核技術の開発は言うに及ばず、何千メートルもの深海から石油を掘り出し、北極海を溶かし、地球最大のラジエーターと言はれるアマゾンに広がる大森林地帯の開発、そして、いつかはその結果生ずるであろう大災害・大悲惨の数々も、やがて発明される科学技術によって克服されることであろうと夢想したのか、これらの不幸は全て一時的な問題にすぎぬとする姿勢はどうか。ここには目前の利益に眼がくらみ、将来を無視した、現代世界のエゴイズムが剥きだしになっている。この根底には、科学技術にたいする盲目的な信仰、或いはそうあって欲しいという願望があるように思うのである。であれば、一度は科学論について向き合い、その論理を考えなければならないのではないか。

    またもや、回り道をしすぎてしまった。第二に言ってみたい事は、科学の予測とその技術化についてである。これは上でもチョイト触れたが、その仕組みと言うか、その論理の問題である。これは、以下で扱おうとする事に関わりそうだからだ。

    カール・ポパーはどこかで言っていた(言っていなかったら、ゴメンと先に謝る)。科学(ここでは自然科学を言う)の目的は一義的には、自然界で起った事柄の説明である。要するに、なぜそんな事が起ったのかという認識の問題だ。それを、前回言ったように、因果法則として表す。その定式の意味は、他の条件が等しければ、その原因に対しては、常にある結果が生ずるという、両者の必然的な関係を表そうというものだ。その場合、この関係式は、その事象の因果関係を、時と処を超えて、だから普遍妥当的に説明しうるものでなければならない。このように時空をこえて普遍的に妥当する認識を、ムツカシク言うと「法則定立的」と呼び、これを自然科学の認識目標としたのは、ドイツの哲学者・ヴィンデルバンドだった。

    こんなことは、直ちに忘れて宜しいが、次の事は大事だ。言うまでもなく、自然科学はレッキとした経験科学である。であれば、そこでの因果法則は経験によって妥当するかしないか、が常に確かめられることを意味する(突然ながら、疲れたから、コレまで)。