2020年7月20,29日

7月20日・月曜日。晴れ。打ち続く豪雨と梅雨寒の後、一転して蒸し暑し。体調の変調を来たし、土日の両日、臥す。本日はパソコンの調子悪く、仕事にならない。よって、資料整理日とするが、机上の新聞紙は山となり、もはや何故これらが残されているか皆目不明で、整理の意味をなさない。いずれ、一括して破棄することになろうか。情けない。

7月29日・水曜日。雨時どき曇り。コロナ問題については、8月より再開したい。現在、『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』(内務省衛生局編、東洋文庫・大正10年刊・平凡社・令和2年刊)と格闘中である。ほぼ1か月を要する読書であったが、これが以下の叙述に生かされるか否かは、全く不明である。

 

一昨日、山本寛斎氏の突然の訃報に接し、一驚させられた。氏とは一度だけだが、小一時間ほどの歓談の機会を得、わが心に残る方であっただけに残念である。私が明治大学付属高等学校・中学校の校長の折、NHKで放映された当校の応援団部の活動に感動され、部活を見させてほしいとの事でわざわざ本校まで足を運ばれた時の事であった。飾らぬお人柄と親しみには、その後も何故か折に触れ思い出されたものである。

不思議なことだが、この一週間ほど前に、何の脈絡もなく同氏の面影がふと脳裏に浮かび、はて、その後どうされているか、と思い出した矢先の事であった。これもまた虫の知らせと言うものなのであろうか。だが、一度きりの関わりしかない方から、そんな知らせを受けるとは妙な話で、根っからの唯物主義者なら、単なる偶然と切り捨てるところであろう。だが、最近の私にはそうも行かない心根があって、なにか現世を超えた世界の存在が気になり出しているからである。それだけ己が生の行く末が見えてきたのであろう。

あの世の有無は、生きている人間には分からぬことながら、自身の生を律するには在った方がよかろう。かつて本欄で触れたことだが、731部隊に所属していた医官が、自ら関わった当時の陰惨な人体実験を思い出すと、「死が怖い」と涙ながらに訴えた話がある。生前の悪行の報いを、延々と受けなければならないからである。『往生要集』には、そんな地獄の責め苦の凄まじさが山とあるが、こんな事を知れば、尚更である。そして、こうした苦悩を寛解させる力こそ御仏や神のものであろうが、それに縋れるか否かが定かならぬところが、また悩ましいのである。わがこれまでの人生行路の決算もまた…、これは未決定にしておこう。

寛斎氏の訃報から、思いがけない方へと話が及んだが、最近の我が心底にはこんな思いが潜んでいるのであろう。末尾に当たり、改めてここに、同氏のご冥福を心よりお祈り申し上げる。


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