2020年5月19日

5月19日・火曜日。雨模様。梅雨寒と言うにはまだ早いか。前回の文章、かなり手を入れる。

 

再び言う。疫病が鎮静化したのは、医薬ではない。遠方への移転か屋内生活の維持である。それ以外の手立てとしては、屋内の換気と消毒がある。室内の空気の入れ替えは、生体として直感的に取られた方法であろう。他方、消毒は細菌学の遥か昔の事ゆえ、今から言えば、ほとんど祈祷や呪術的な要素と絡みついた代物でしかない。「密閉した部屋で芳香剤や香木、安息香、松脂や硫黄を焚いたあとで、火薬を爆発させて一気に換気する人がいた。昼も夜もずっと、しかも何日もぶっ通しで盛んに火を焚く人もいた。2,3の市民はわざと自宅に火をつけた。おかげで家はすっかり灰になり、ばっちり浄化できた」(311頁)。恐らく、火が細菌を焼き尽くすという発想ではなく、宗教的な火の浄化力に結び付けられてのことであろう。実は、室内での燻蒸による消毒法は19世紀中葉まで見られ、ベルリン市のコレラ蔓延に際しても盛んに取られた方法でもあった。

他には、偽医者や「あやしい薬」の数々がある。「ロンドンは藪医者や贋薬売りであふれていたけれど、ぼくは誰にも耳を貸さなかった。そしてペストの流行を終わってから二年間、街にこういう連中がいるのを見ることも、うわさを聞くこともほとんどなかったが、…あの連中はすべて疫病にかかって一掃されたんだと想定して…ほら見ろ、神罰が下ったんだ、わずかな金を巻き上げるためだけに、哀れな民を「滅びの穴」へと陥れたせいだと」(308頁)人々は言い募っていたほどである。ここにも今に繋がる原点がある。

では、さきの「滅びの穴」とは何か。街にあふれた死人を、夜間に荷車で回収し、放り込むために、街外れの寺院に掘られた大きな穴の事である。祈りも葬儀もあったものでは無い。かくて、昼間のロンドンは一見清潔に保たれ、秩序も維持された。この事を、デフォーは市当局の行政能力として高く評価する。だが墓掘り人、死体回収人は感染者に直接触れざるを得ず、最も感染リスクを負った人々であり、だから「命知らずの」連中と呼ばれた。彼らはまた貧苦に喘ぐ最下層の人々であった。ここに社会階層の断裂が、命のやり取りを巡って抉り出されるのである。この構図は今日の状況そのものである(以下次回)。


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