2020年5月12日

5月12日・火曜日。晴れ。すでに蒸し暑し。前回の文章にやや手を入れる。

 

以下では、デフォーの『記憶』にもう少し関わろう。ペスト蔓延の最盛期には1日2万人もの死者を出したとされる猖獗ぶりであったが(もっともこの数値には彼自身疑念を持っていたことは、訳者の注記にある)、これはどう終結したのか。先にも記した通り、他者との接触をひかえ、屋内に籠ることである。「多くの人たちがみずから家に引きこもり、外に出て誰かと会うことは一切とりやめ、街なかで誰と接していたか分からない者は決して家に入れず、近づくことさえ許さなくなった。少なくとも、息がかかったり、臭いが届く範囲にまで来ることは絶対に認めなかった」(270頁。まさに現下の三蜜禁止ではないか)。

だが、そうした生活がロンドン市民の生活に甚大な影響を及ぼさないわけがなかった。何しろ「疫病にはどんな薬も歯が立たず、死神が街の隅々を荒らしていた」(314頁)からである。このまま続けば、「すべての市民と生きとし生けるものが、ここロンドンから一掃されたことでであろう。どこを見ても絶望した人ばかりが目立つようになり、恐怖のあまり精神の麻痺する者が続出し、心の痛みに耐えかねて自暴自棄になる者たちもいた。すべての市民の顔には、どんな表情をしていても死への恐怖が宿っていた」(同)。

現在、精神的に問題を抱える人々の命を繋ぐ各施設のホットラインが、担当者の感染リスクの恐れもあって切断され、困窮者たちを孤立に追い込み、今後の自殺者の増加が懸念されるとの報道が見られる。家庭では行き場のないストレスからDV問題が内外を問わず頻発していると言う。上のデフォーの筆はこの点にも関わるように見える。

だが、この苦しみは突如として解かれた。疫病は「おのずから弱まり、…悪性が衰えていた。まだ無数の人びとが病んでいたが、死ぬ者は少なくなった。そして事態が転じてから最初に出た週報では1843人も死者数が減少した。何という数だろう!」。だからデフォーは神の奇跡としてこれを賛美し、清教徒らしい感謝を捧げるのであるが、ただこの報告そのものは現在の状況をそのままなぞるようではないか(以下次回)。


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