2020年5月8日

5月8日・金曜日。晴れ。前回記したわが自堕落な、だがどこか規則的な生活は今も続く。お蔭でいまだ感染を見ない。

 

一昨日、緊急事態宣言による都市封鎖の期限を迎えたが、コロナ禍の収束は見込めず、今月一杯の延長が政府によって要請された。同時に、特別対象地域を除いた地方では、緩和の動きも出てきた。「隔離や封鎖」の対策はコロナ抑圧の決定打ではないが、しかし今取り得るもっとも有効な対策である事は、疫病蔓延から今日までの世界の動向からも明らかであろう。次いでマスクや手洗い・消毒が続く。医薬の参戦はいまだしである。これを受けて、誰でも知る外国の作家の次の文章をお読み頂こう。

「このあたりで、人びとのあいだで感染がどう広まったのか」、今後の参考のために詳述しておきたい。疫病が「健康な人たちにこれだけ急速に広まったのは」、病人たちのせいとばかりは言えず、元気な者たちもその一因であった。ここで病人とは、もちろん疫病の症状を呈し、「ベッドに入って療養している者」たちであり、「誰でも警戒できる人たち…紛れもなく病気だと分かる人たちだ。」

これに対して「元気な人というのは、すでに病気の菌に感染し、その肉体と血液に病毒を抱えながら、外見ではその影響が分からない者を意味する。」いや彼らは「自分でも感染に気づいていないことがあり、数日間は無自覚のままというのはざらだった。彼らはあらゆる場所で、近くを通る誰にでも死の息を吹きかけた。…こういう人たちこそ危険であり、本当に元気な人たちが警戒するべき相手だった。しかし、病気でない側から見れば、それを見分けるのは不可能だった。」

では、これに対する対策はないのか。彼は言う。「もっとも有効な薬は、それから逃げることだ」と。まずは家に閉じこもり、疫病の去るのをジッと待つことである。そして、続ける。今後の予防のためには「市民をより小さな集団に分割し、互いにもっと距離をとるよう、早期に移住させることが検討されるはずだ。今回のような伝染病は、人が密集したときにこそ危険きわまりないものになるのだが、この措置をとれば、百万もの人が集まって暮らすところを病気が襲う、なんてことは起こらない」。

一読して、これはコロナ収束に向かいつつある大都市の作家が記した体験記ではないのか、と読まれた方が一人でもあれば、私は手を打って喜ぶ。作家とはダニエル・デフォー(1660-1731)であり、1665年、ロンドン市を襲ったペスト蔓延について残した記録の抜き書きだからだ(『ペストの記憶』・1722年。武田将明訳・研究社2017.245-255頁他)。なお、その翌年にはロンドン大火が起こり、市の面目を一新させる都市改革が着手されたことにも一言して起きたい。

それにしても、どうであろう。約355年前の疫病対策が、科学技術や医療の進歩を誇る現代において、基本的な対応として変わらないという事実を突きつけられて、我々はある自戒を迫られているような思いにならないであろうか。現代の目覚ましい科学技術の進歩・発展ではあるが、それに幻惑されてはならない。われわれの知識の及ばない領域、分野では(それは依然として広大であろうが)、人は3百年、千年前の人々とそう変わらない水準でしかないのではないか。

とすれば、われわれは謙虚でなければならない。技術的に出来るし、カネにもなるからと言って、自然界に深く侵襲し意のままにする事にある恐れを持つべきではないのか。その事によって、いかなる惨害が地球レベルで発生するか分かったものでは無いからだ(以下次回)。


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