2020年1月23,31日

1月23日・木曜日。小雨。やや寒し。

1月31日・金曜日。晴れ。今週は寒さと疲労が重なり、風邪気味。よって一日置きに寝込む。本日、不承不承、マスクを着用するが、コロナウィルス感染を恐れたと言うよりも、ウッカリ咳き込めば周りの刺すような視線が面倒ゆえである。それにしても伺いたい。マスクにそれ程の予防能力があるのか。電子顕微鏡レヴェルでしか捉えられないウィルスをマスクが防御できるとは、中々信じ難い。事実、それに近いことを言う研究者の言もある。だからか、ヨーロッパ人はマスクを着用しなければならないほどの容態であれば、まずは家で静養し、外出するな、となるらしい。国民の大半が顔半分を隠して市中を往来する姿は、彼らにとって一奇観であるとは、大分以前に読んだ米紙にある。つまり、これは信仰の問題に近いが、ならばそれを信ずるものはつければ良いが、その信仰を押し付けないでほしいという事である。

 

これまで都市の発展とその裏側で進行する地方の疲弊を、あれこれ垣間見てきたが、今これを一言で言えば、都市に潜む巨大な富、成功のチャンスが地方から先ずは人を奪い、次いで「モノ・カネ」の全てを吸引する都市の「巨大なサイフォン」機能である。その威力はすでに見たように、単なるモノに留まらず、郷土の土台である「土や砕石」を剥ぎ取り、安価な外国産の材木輸入のために豊かな森林を惜しげもなく遺棄し、その結果水資源や国土の保全を危うくさせる。それほどの破壊力である。のみならず、今や国土の景観そのものまでも変貌させると言うのである。しかもそれは、戦争の破壊によってではなく、促そくと迫る経済開発の結果としてなのである。

「日本で最も美しい村」の一村として讃えられる大玉村(福島県)は、世界に先駆けて世界遺産に登録されたペルー・マチュピチュ村との友好都市を結んだ事で知られるが(2015)、その村が昨年、「大規模なる太陽光発電施設の設置は望まず」とする「宣言」を発せざるを得ないほどに追い込まれてしまった(The Japan Times Sun.Jan.19,2020)。

断っておくが、当村は太陽光や風力等の再生可能なエネルギーの使用に反対なのではない。むしろ各家庭に対し積極的にこれを推奨してきた村である

だが、これはどうか。牧草地や豊かな水田、青々とした森林に囲まれた、文字通り名画に見るような牧歌的な田園地帯に、平野と言わず、山と言わず、黒灰色の広大なソーラーパネル群が侵略、侵入して、その景観を徐々に、しかし確実に呑み込みはじめてしまった。こうした事態は、確かにこの国が初めて直面する大きな「挑戦」である。しかもそれは当地に留め置かれるような事ではなく、事情が許せば「砕石・砂」の採掘と同様、全国的に起こりうることだからである。こうして、当村の住民たちが懸念する豊かな景観を子孫たちに受け渡すことが不可能になるであろう。それで良いのか。これが住民たちの心配であった。

こんな事が起こったのは、3.11の巨大地震によって福島原発が破壊され、代わって再生エネルギー源の一つとしてソーラーパネルが見直され、これに政府の助成金や税制上の優遇政策が導入されたからであった。かくて開発業者をはじめその従事者たちの大挙した流入が起こったのである(以下次回)。


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