2019年11月26日

11月26日・火曜日。雨。中野学園理事会の帰途、落合駅経由で出社。会議が比較的短時間で終了したためである。

 

以上の記述からも、東京はじめ大都市圏が、どのようにして地方や近隣地域から住民を吸い寄せ、その結果地方の過疎化を助長するか、その経過の一端が垣間見られないであろうか。多少の繰り返しになるが、要約すれば、以下のようになろう。まずは、都心における高規格かつ利便性の高い住宅への旺盛な需要があり、それに惹かれて、大手開発業者も参戦した巨大な都市計画・開発が企画され、動き出す。高層マンション街はこうして出現するのであろう。

購入者から見たそうした住宅の魅力は何か。第一に、職住の接近による通勤地獄からの解放である。その二は、都市に集積された多様な利便性や文化的な生活の享受であり、中でも教育施設・医療機関の充実は大きな魅力であるに違いない。第三は、尽きざる就業機会や商機の可能性と増大があろう。さらに、取得した住宅や居住環境の持つ圧倒的な快適さであり、それらは居住者に何がしかのプライドを付与することは先に見た通りである。

こうして大都会の中心部ではより高い利便性と経済性を求めて、再開発の波が果てしなく続く。そこではオリンピックのようなビッグイヴェントの企画、招致も絡んで、破壊と建設が一層巨大化し、それらの事業は全体として何処か目的地に向かったものなのか、或いはそれはただ経済の停滞を来たしてはならないためだけの事業なのか。はたまた、これらは建設のための破壊なのか、破壊のための建設なのか、にわかには断ぜられなくなってきた。そんな印象を禁じ得ない。

だが、そうした大事業によってその煽りを受けた地方では、一体何が起こっているのであろう。こうした事態の一端を、佐久間 充『ああダンプ街道』(岩波新書2011)によって見ることにしよう(以下次回)。


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